
子どもが、すっごい怒ります。
それは、こんなとき。
「じぶんでやる!」
「できるもん!」
「やりたい!」
…って言ってるのに、大人が分かってくれないとき。
まだ小さいからできないでしょ、とはじめから決めつけられたり、
そうじゃないでしょ、こうでしょ、と「できない」ことをわざわざ知らしめられたり、
危ないよ、だめだよ、と挑戦のチャンスを奪われたりする。
これはわがままから来ているのではない。
そう感じるほどに、子どもたちは激しく怒り、泣いて、抗議します。
大人は、子どもたちよりも能力があるわけではありません。
ただ、「先に大きくなって」「先にできるようになった」それだけ。
それなのに、子どもを「自分より劣ったもの、未熟なもの」として扱うことがある。
そして、子どもがやろうとしていることに手出ししたり、口出ししたり、禁止したりする。
でも、
ほんとうに子どもたちが望んで大人に言いたいことは、きっとこういうこと。
「お母さん!お父さん!
あなたは今はもうできるようになったかもしれないけど、
昔はあなたも子どもだったんだから、できなかったんだから、
その時のやりたい気持ちを思い出して、できない悔しさを思い出して、
私がどんなふうにすればいいのか、ちゃんと分かるように、お手伝いしてちょうだい!」
子どもは「できる」「やりたい」「じぶんで」くらいしか語彙がないから、うまく伝えられないだけ。
だから分かってほしくて、大騒ぎして、泣くのです。
おとなはただ、「子どもがひとりでできるように、手伝うこと」。
それだけでいいのです。
例えば、
自分で顔が洗えるように、洗面台に届くちょうどいい高さの踏み台とか、
自分で手を伸ばして取ったり掛けたりできるタオル掛け、
自分の手で扱うのに、ちょうど良い大きさのタオル。
そんな配慮を、子どものために最初から大人がしていてくれたら、
そんな「ひとりでできるように、場を整える」ことをしてくれていたら、
子どもたちはどんなにうれしいでしょう。
そして、
顔を洗うにはどうすればよいかを、
大人がゆっくり、ていねいにやって見せてくれる。
そうして実際に子どもがやってみるときには、
失敗しても上手になろうとがんばっているのだからと、
がんばる姿をちゃんと見て、子どもが自分で終わりにするまで待っていてくれたら、
子どもたちはどんなに安心で、うれしいでしょう。
信じて待っていてもらえることが、どんなに自信になるでしょう。
例えばほかにも、
子ども専用の道具(コップ、歯ブラシ、クレヨン、ハサミなど)は、子どもの手の届くところにいつもある。
着替えのタンスの中は、子どもが出し入れできるように整理して、ぎゅうぎゅうにしておかない。
子どもが使う道具は、子どもの使いやすいサイズで用意する。
遊びやすく、元にも戻しやすいように、おもちゃの大きさや量や、入れ物を考える…。
そんなふうに、
手出し口出しをする前に、
ただ先にできるようになっただけの、ぜんぜん偉くない大人の私たちは、
「まだできないだけ」の子どもという人のために、
想像して、先回りして、「場を整える」というお手伝いが、できるのです。
子どもが大人に求めている「お手伝い」とは、
「自分ひとりでできるようになる」ことへの配慮、です。
ただただ、「大人らしく」、
深い配慮をもって、その場に控えていること。
必要なことだけを教え、
必要なことだけを手伝い、
あとは
子どものやろうとする意志と情熱と、できる力を信じること。
なんでもやってあげれば子どもはうれしいんじゃない。
子どもが「ひとりでするのを」手伝えるように、その姿をよく見て控えている。
それだけで、いいのです。
そうやって、子どもたちがずっとずっと大きくなるまで、
自立に向かっていっしょに、
「できた^^」「できたね^^」
うれしい気持ちを、しっかり分かちあっていけたらいいな。
手出しするより、口出しするより、
できることを信じて、待つ。
とっても大事。
でもそれはじつは、
私たち大人には、すっごく難しいことなのだけど^^
でもね、大人のその努力は、
びっくりするぐらいの喜びになって、ちゃんと、かえってくるよ。


オーボールは、いろんなふうに遊べるんだよ!シフォンをつけて、流れ星。どんなふうに投げるかで、シフォンの動きが変化する。
土曜日は、かばんねこのたぶん4周年講座でした。
テーマは『子どもが育つ「モノ」と「ヒト」』。
東京から「遊び環境コーディネーター」の横尾泉さんにおいでいただき、おもちゃとあそびと育ちのお話をしていただきました。

オーボールにチェーンをつけて、ガラガラに。チェーンが偶然に外れる体験から、「外す」ための発見と試行錯誤がはじまる。
なにより気を引き締めたくなったのは「わたしたちは、大人も子どもも望むと望まざるとにかかわらず、いろんな情報と刺激にさらされている」お話。
そう、やっぱりスマホ、タブレット。デジタルゲーム、ユーチューブ。
ちょっと画面を触るだけで、すぐに面白いことが起こる。それに反応して操作すると、またすぐに刺激が返ってくる。刺激→反応、刺激→反応…。
楽しいし、刺激が続くから子どもも飽きずに、あっというまに時間が過ぎる。
おとなを煩わせることなく、ひとりでしずかに遊んでいてくれる。
面白いよね、楽しいよね。でもそれって、「集中して遊んでる」っていうのかな?
繰り出される刺激に目や気を奪われているだけじゃない?
そしてほんとうなら、4歳ならできていた、5歳ならできていたことが、できない。
本来なら遊びのなかで体験してきていることを、満足に経験していないのかもしれない。
保育園の活動のなかでも、十分に発達してしかるべきところまで至っていない、そんな事例が多くなっているのだそうです。
そうしてそんなデジタルな遊びの世界に慣れてしまうと、たとえば積み木のように自分から働きかけなければなにも変わらない、自分の手や頭を動かさなければ面白い世界には行けない、そんな一見「地味」な遊びには戻ってこられなくなってしまいます。
どうやって遊んだらいいのか分からない、やろうと思ってもできない、困ったときの解決策が模索できずみつけられない、だからつまらない、そんなふうに。
本来なら、たとえば積み木をひとつ積んで、もうひとつ積んで、すこしずつできることをやっていってみたら、すっごく面白い世界が待っていた!そんな喜びと、楽しみと、達成感をいっぱい感じられるあそびの世界です。
大人も子どもに体験してほしいと願っている遊びと育ちの豊かな世界に、出会えずに、体験できずに、深められないままに、大きくなってしまう。

お話を聞きながら、子どもの遊ぶ様子をみる。よい遊びの道具の「良さ」に出会えたかな^^
だから、
0・1・2歳の頃が、とっても大事!
ただ手に持つだけ、ただ動きを見るだけ、ただ箱に入れるだけ、ただ並べるだけ、ただ積むだけ…。
そんなことを、子どもたちは「ただ楽しいから」やっている時期。
押したら玉が動いた、「楽しい!」
積み木を3個ならべたら長くなった、「うれしい!」
大きい順番にしてみたらきれいにならんだ、「おもしろい!」
箱にぴったりおさまった、「きもちいい!」
いい音が鳴った、「すき!」
子どもたちは自分の手を動かして、そこで起こったことをひとつひとつ体験し感じながら、その経験をじぶんのなかに落とし込んでゆくのです。
そうしていろんなことを試し、うまくいったりいかなかったりしながら、いろんな経験の知もたくわえていく。
大人はすぐに「このおもちゃで遊んだら○○できるようになりますか?」「これをやったら集中力がつきますか?」そんなふうにすぐに結果を求めてしまうけれど、
でも本当は、そこに行き着くまでの「過程」こそ、大事にするべきことです。
子どもの遊んでいる「過程」を大事に見て、子どもができるように上手に配慮したり、起こったことを一緒に喜んだり残念がったり、子どものうれしさや悔しさに共感したり。
そうした「過程」を大事に受け止めていれば、大人が求めている「結果」は、きちんとついてきます。
「知る」ということは、「慣れる」ということでもあります。
どうか01.2歳の「初めて」がたくさんのうちに、子どもにいろんなモノに出会わせてあげて。

箱は、大活躍のあそびの道具。この木製のスタックボックスは、丸い穴がすべての箱にあいていることがすごくイイ!赤い子が、窓から外を見ています。物語がうまれるよ^^

こどもは、自分の手を動かして「知る」「わかる」「気づく」
子どもは、自分でやってみてはじめて、「わかる」ひとです。
「聞いてわかる」ようになるのは、小学校の高学年くらいから。
だから、赤ちゃん時代から子どもは、モノをお口で調べて、いっぱい触って、いろんなことを試している。
つるつる、ザラザラ。
やわらかい、かたい。
重い、軽い。
大きい、小さい。
球や曲面のものは、すぐ動く(転がる)。平面のあるカクカクのは、動かない。
でもカクカクのほうは、積める。球や曲面のは、積めない。
子どもにおもちゃが必要な理由は、ここにあります。
こんなふうに子どもは、自分の手を動かして、自分のちからで「もののありかた」や「ものの道理」を知っていくからです。
そうして、そんな具体的な体験の知をたくさんたくさん積み重ねていくからこそ、子どもは大きくなるごとに「聞いてわかる(実際にやらなくても、見聞きするだけでイメージできる)」が、できるようになります。
もっと現実に即して言うと、小学校からの勉強です。
紙上で文を読んでイメージし、紙に描かれた数や図を理解して学ぶ、アレです^^
べつに、知育をしようといっているのではないですよ。
子どもは「やってわかる」人だから、そして何より自分のちからで分かるのがうれしいし自信になるのだから、いろんな体験と試行錯誤を存分にできる道具…よいおもちゃを、子どものそばに置いてほしい!!のです。
子どもだけじゃなくて、大人もそうですよね。
興味をもって、面白がって知る・分かる・気づくことが、いちばん楽しいしうれしいし、なにより身につくんですから^^
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まいにち育つ、こどものために。
こどもと育つ、おとなのために。
木のおもちゃの専門店・
レンタルスペース&キッチン
かばんねこ
電話 0277-46-6644
(10-17:30 木土祝お休み。留守電OK!)
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子どもたちは、ときどき「同じことを何度も繰り返す」ことがあります。
赤ちゃんなら、例えば「おんなじおもちゃで何度も何度も繰り返し遊ぶ」。
入れ口に玉をいれると、玉が坂道を転がって、同じ場所から出てくる。それだけのことを、何度もなんども、繰り返す。

大きい子なら、例えば「折り紙で同じものを何個も何個も作る」。
サイフ、兜、鶴、手裏剣、ハサミでの模様切り…。
その他にも、同じかたちを何度も描く。ハサミでチョキチョキ1回切りをどこまでもやりたがる。大量の指編みがお部屋に山になっている…。
そしてそれは、その時間だけでなく、何日も延々と続くこともあります。
不思議ですね、なんでしょうね、この情熱^^

でも、よーくよく見てみると、これはだいたい「手」を使う作業です。
小さい子も、大きい子も。
おんなじことを繰り返していますが、顔はいたってまじめだったりします。
1回終わると、またすっと手をのばして、同じことを始めます。
なんだか、じゃまできないような雰囲気です^^
そして、そのおんなじことをずーっとずーっとずうーっとやって…、
あるとき、ぱっ!と、やめる。
「やめる」というより、「おしまいにする」という表現のほうがぴったりするかもしれません。
だって、なんだかその顔は、スッキリしていませんか?
飽きたからとかではなくて、存分に何かをやりとげた、満足した感じです。
自分で「もういいな」「わかった」「大丈夫だな」「よし」…、そんなふうに、どこかぴったりくる着地点にたどりついたから、満足したから、自分で終わりにする。そんな感じ^^
手を使って、おんなじことを繰り返すなかで、子どもたちはいったい、何を感じ、どんな満足を得るのでしょう。
何ができたのか、何がわかったのか、ぱっと見ではわかりません。
でも本人は、とっても満たされて、スッキリして、「次へ」…新しいなにかに出会いに行っている。
そうやって、子どもは自分で自分を大きくしているのだなあと感じます。

だから、わたしたち大人ができることは、
①その子が集中していることを「よくわかんないけど何か大事なしごとをしているらしい」とそのまま受け入れてやり、
②「こんなにおんなじモノいっぱい作ってどうするのよ」とか「もういいんじゃない」とかわけのわからない邪魔をせずに気の済むまでやらせてやり、
③終わった後は、その子の達成感や満足感をしみじみとながめて、「よかったねえー」と共感するだけでいいんだなと思います。
大人は手出し口出し、得意です。
でも大人だからって、子どものすること全てを把握したり理解したり指導したりする必要はない。
子どもが自分で育つ姿を、喜びをもってみつめるだけでいいときがあるということです。
わたしたちだって、そういう小さな偉業をたくさん成し遂げて大きくなってきたんだけど、忘れちゃってるだけなんだから^^
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子どもに、手をかける。遊びをつうじて。
ひとつのことに、なかなか集中してとりくめない。
そんな子どもの姿に悩んでしまったりします。
ひとつのおもちゃに触って、ちょっちょっと触ってみて、別のおもちゃへ。
次のおもちゃも、なんとなく遊ぶようなそぶりが見られるけれど、遊びこむまではいかないかな、そしてまた別のおもちゃへ。
うちの子は集中できないから。あきっぽいから。
そんなふうにおっしゃるかたも。
でも、その子がまだ赤ちゃんと呼ばれるような頃なら、心配はいりません。
ちびさんが自分の手や体でできることはまだまだ少なく、集中する時間も10秒とか、短い。
いろんなものを触って、試してみて、また別のを触って試して、また別の、また別の、そして最初のに戻って…というあそびかたで、いいのです。
ひとつのものに取り組む時間はたしかに少ないけれど、ひとつのおもちゃで遊ぶ、一日のトータルの時間を考えたら…どう?けっこう遊んでないかな^^
3歳さんくらいからは、そうですね。心配になっちゃう気持ちがとてもわかります。
でもうちの子は「飽きっぽい」「集中できない」と思いこんでしまうのは、とてももったいないです。
もしかしたら、そのおもちゃへの関わり方が、わからないのかもしれない。
どんなふうにできるのか、わからなくて不安なのかもしれない。
そのおもちゃでやってみたいことが、浮かばないのかもしれない。
「わからない」「できない」そんな言葉を繰り返したりする姿にも、そんな子どもの不安がかくれているように思います。
ぜひぜひ、おとなのかたが、根気強く「して見せて」あげてください^^
子どもの前で、できるだけわかりやすく、ゆっくり、はっきり、「してみせる」。
大人が、おもちゃで遊んでみせるのです。
「こうしてみようかな」「あっ、はいったよ」「ここにおんなじ色がある。並べてみよう」「こんなに積めたよ」
そんなふうに、大人が自分のやっていることを実況中継しながら、自分で楽しむ。
そこで興味をもってくれたら、しめたもの!
あそびの見本があって、それを見たり真似てみることは、子どもにとってとても大事な体験です。
見て、まねて、実際にやってみるうちに、「こうしてみよう」「こんなふうにしたら、どうなるかな」…そんな、自分の「オリジナル」の遊びが、生まれてくるからです。
もちろんすぐには、真似っこしたりしない子もいます。でも、見ている様子があるなら、心配いりませんよ。やらなくても、見ています。あそびの芽はちゃーんとあとで、現れてきます^^
子どものなかには、なかなか大人がやってみせることを見ていられない子もいます。
他のものに気を取られたり、どこかに行ってしまったり。
でも、1日に2分でも3分でも、大人が根気強く、まいにち繰り返しているうちに、少しずつ、見ていられるようになります。見られるようになれば、あそびは変わります。
生活の場面でも、おんなじです。
手の洗い方、ボタンのかけかた、ハンカチのたたみかた、くつの履きかた。ゆっくり、はっきり、「して見せる」。おとなが意識するだけで、ずいぶん違いますよ。
遊びでも生活のなかでも、どの場合も「やってごらん」「こうするんだよ」なんて、いわなくていいです。
自分のやりたい気持ちがむくむくとなってくれば自然に、こどもは意欲的にやりはじめるのですから。
自分の手と体を使ってあそぶなかで、こどもは自分のできることを知り、やってみて、それを繰り返すうちに、あたらしいことがぽっとできる。
その喜びが新しい意欲になって、さらに遊び込むことで、子どもはいろんなことに気づき、わかり、あそびは育ちの糧となっていきます。
子どもの育ちのために、手をかける。こんなやりかたもあるのです^^

赤ちゃんが見ているものはなにかな?
赤ちゃんが「あれ?なにかを見ているな」と気づくときがありますね。
そんなとき、どうしていますか?
きっと、「何見てるの?ああ、◯◯◯か、すきだもんねー^^」
たとえばそんなふうに声をかけていますね。
お母さんが無意識のうちにできる、すてきなコミュニケーションです。
赤ちゃんが見ているものに注意を向けて、共感してくれます。とってもうれしい^^
でもそこに、もうひといき、足してほしいことがあるのです。
それは、「赤ちゃんが見ているものについて、もうちょっとおしゃべりをする」ということ。
たとえば赤ちゃんが何かおもちゃを見たら、それを赤ちゃんに見せたり渡したりします。
そして、名前を言ってあげたり、シャンシャンとかブーブーとか、ぴったりした音を付け加えてあげる。
「赤色きれいだね」「まあるいのがついてるね」「いい音がするね」そんなことも。
じつは、赤ちゃんがなにかに注意を向けていられる時間は、とっても短いのです。1分もない。
だから、その時間を大事にしてあげることが、赤ちゃんが「ものに注意を向け続ける」「さいごまで見る」「さいごまで聞く」そんな力の応援になっていってくれるのです。
見ているものについてことばをかけることは、そのことばが、自分が見ている「モノ」がどんなものなのか、その意味を示すものとなってくれるから。
でも、興味がなくなってしまったら、すぐにやめてOK!
大人がそれ以上長くしようとがんばっても、赤ちゃんは、まだまだひとつのことにしか注意を向けられないから^^
赤ちゃんの興味に大人が合わせていくことは、とても大事なことです。
「ね、これみてごらん、ほら」と、親の見せたいものに気を引くことは、子どもが「何かを興味を持って見る」「気持ちを集中させてモノを見る」という機会を奪っているとも言えるかも。
ほんのちょっとのことだけれど、そのちょっとずつの積み重ねを考えると、あ、やばそう…って感じますね。
大人が子どもの興味にあわせていくことは、子どもの言うなり?になることとはちがいます。
これは、赤ちゃん時代のはなしです。
赤ちゃんはまだ、同時にふたつのことができないんだから、それに見合うようなお手伝いをしようね、というだけのこと。
そしてこのことは、
「見ることと聞くことを同時にできるようになる」そんなすてきな力を得ていく子どもたちへの、もう一歩すすんだ、うれしい大人の助けとなるのです^^
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毎回おんなじ結果になることを、何度も、何度もやります。
子どもが一心におもちゃに向かっている姿は、見ていてとてもうれしい気持ちになりますね。
とくに玉落としのおもちゃは、小さい子も大きい子も(大人も)、とてもすきです。
スタートに玉を入れると、必ず同じ道を、同じように通って、やっぱり同じゴールに到着。
何度やっても、おんなじです。
だから大人は、一度で満足しちゃえます。
でも小さい子はそれを、何度も何度も繰り返しますね、ふしぎですね。
それは、
今まで知らなかった「(大きくなれば)あたりまえのこと」を、何度もくりかえし体験することで「分かる」、その楽しさに出会っているのかもしれません。
玉は転がる。玉は動く。はやい、ゆっくり。手を放すと落ちる、音がする…。
どんなことに興味をもって繰り返しているのか、知りたいところです^^
あるいは、
まだまだ知らないことがたくさんの子どもにとっての「安心」を体験しているのかもしれません。
わたしたちも「よく知っているもの」…たとえばお料理のトングの存在は、不安もなく触れるし、使えるし、安心ですね。
でも、使ったことのないフードカッターなどは、ちょっと腰が引けちゃったり、不安を感じたりします。
それと同じで、日々未知との出会いがたくさんの子どもにとっては、「よく知ってるおもちゃ」で遊ぶことが、とても心地よい「安心」になるのです。

くりかえし、くりかえし、くりかえし…。
それは、2歳さん以降の作業するあそびのときにも、現れてきます。
この写真では、積木を受け取ってならべる、積木を受け取ってならべる、その繰り返し。
大人にとってはなんでもない、簡単で単調な作業ですが、
「この子は何を面白いとおもってやっているのかな?」と思ってみつめるだけで、
きっと、育ってゆく子どもの姿を感じられたり、
こんなふうに手伝ったらもっとスムーズに遊べそうだと気づいたり、
親の喜びにとっても、子どもの育ちにとっても、うれしい気づきがあるかもしれません。
そしてぜひ、そのあそびを「どんなふうに終わらせるのか」も、見てほしいなと思います。
何に満足して終わったのか。
何をゴールとしてやっていたのか、そこにたどり着いたのか。
何かができなくて終わったのか。
何かがたりなくて終わったのか。
そこにもきっと、子育てのヒントと、親の喜びがあります^^

「どんな遊びが好きなのか、わからない」
「遊んでても、ぜんぜん集中しないですぐに別のおもちゃに行っちゃう」
そんな相談をいただくことがあります。
だいじょうぶ!
3歳くらいまでの子どもの集中は、すごーく短い。
1分もないことがほとんどです^^
だってね、相手は「小さい子」。
できることが、まだまだ少ないんだもの。
「あんなことやってみよう」っていうアイディアのもとになる経験も知識も、まだまだ少ないんだもの。
持つ。握る。触って調べる、放す…、できることはそれだけの小さな手は、
遊びながらいろんなものを触り、感じ、体験することを通じて、
「目的の場所に置いて、しっかり放せる」という体の育ち、
「手触りや音の違いに気づく」感覚の育ち、
「色を見つけて分ける」ものの違いを見つける注意力…。
だんだんにいろんなことができるようになり、いろんな体験の知識を蓄えていきます。
それがあればこそ、
同じおもちゃでも遊び方は変わり、関わる時間も長くなり、関わりかたも、多様になってくる。
集中も、長くなってくる^^
だからね、小さいうちは、ひとつのおもちゃでじっくり遊ばなくても、
「集中力がない」なんて、がっかりしなくていいんです。
「今はこれで十分遊んだんだな」「今できることをやってみたんだな」「満足して次に移ったんだな」
そう感じてくれたらうれしいです^^
子どもたちは、自分のちからで、ちゃんと育っていきますよ。
不安に感じること、自信がゆらぐことがたくさんですが、
子どもを信じて、大丈夫。
待つの^^

子どもが静かなときは、だいたい、なにかに集中して取り組んでいます。
おもちゃで一心に遊んでいるとか、
洗濯ばさみをとにかく窓の外に投げ落としているとか、
絵本を見つめたりめくったりしているとか、
あるいはそれを積み上げているとか、
お人形を一列に並べているとか、
米びつからお米を掴んでは床に撒いてくれているとか。
それは、大人にとっては、うれしい、ほほえましい時もありますし、
たいへんにご迷惑なときもありますが、
子どもにとっては、どれも同じに「面白くて」「やりたいこと」です。
子どもは、まだまだ触ったことがあるものも、知っていることも、ものすごく少ない。
だから、いろんなものを触って、
あんなふうにしたり、こんなふうにしたり、触って、舐めて、掴んで、放して、
投げてみたり、転がしてみたり、つまんでみたり…。
いろんなことを試しながら、身の回りのモノを知っていきます。
(そうやっていろいろなモノを触って試して知るうちに、子どものすることは、並べたり、積んだり、色で分けたり、かたちで分けたり、たとえばそんなふうに秩序を整えることが好きになったりして遊びが変化していきますが、そこまでいかないと、大人は感心をよせてくれないのね!)
その姿を、いたずらや悪さと捉えて禁止するのか、
ああ、楽しいんだな、やってみたいんだな、と見るのか。
大人の受け取り方によって、
子どもが「触ったことがある」「知っている」体験の知の多さも、
手指や体をいろいろに使う回数も、それを活かせる機会も、変わってきますね。
子どもがなにかをやってみたくてやってみる姿を、
どんなふうに捉えて、
何をどれだけゆるし、おおらかに受け入れるのか。
子どもが中学生になった今も、かばんねこは迷いながら暮らしています。
子どもは、「知りたい!」「分かりたい!」「やってみたい!」「できたい!」
そんなわくわくと、できたいあこがれとともに、生きています。
忙しくて忙しくて、
それでもきちんと暮らしたいし、ちゃんとしたお母さんでもいたい。
なかなかままならない毎日ですが、
子どもも自分の意思をもって、わくわくと生きたいんだなあと思うと、
もうすこし、おおらかにいられるかもなあと、
子どもが大きくなっちゃった今だからこそかも!思っています^^

子どものしごと
たとえば、
家事や仕事中に、子どもに「ちょっと来て」と言われます。
でも、すぐにはやめられないことが多いですね。
「ちょっと待ってて」と、区切りがつくまで待ってもらいます。
それとおんなじことを、
わたしたち大人は子どもにしていることがあります。
でも、「ちょっと待ってて」あげていますか。
いつでも、わたしたち大人と同じに、「自分で区切りをつける」まで。
子どもにとっては、
やってみたい、やってみよう、こうしたらどうなるだろう、
…そんなふうにして取り組んでいることを、
「そんなことより◯◯の時間よ」「もういいでしょ」「それよりこうしなさい」なんて、
途中でやめさせられたり、強制されたりしていることが、結構あります。
それはたぶん、
子どもがやっていることは、
大人にとってはもう十分にできたり分かりきったりしていて簡単なことだし、
子どもが何度もくりかえしたり、効率の悪いやり方をしていることも幼稚だし、
「ひまつぶし」「とくに役に立たないモノ」「教えたほうがはやい」…
そんなふうに、軽くとらえられがちだから。
でもじつは、それは子ども本人にとっては、大人と同じに、
今、一生懸命に取り組んでいる、大事な「しごと」なのかもしれません。
まだまだ生まれて数年。
経験も、知も、とっても少ない。
だから、何度も同じことを繰り返してやっと何かが「わかる」のだし、
遠回りして、効率の悪いやりかたをして、寄り道をたくさんしながら、
いちばんいいやり方や、ものごとの成り立ちや、しくみや、いろんなことを知っていく。
それが、子どもの「あそび」という「しごと」なのです。
それに、
そうやって子どもが自分の「しごと」を中断させられていると、
子どもはだんだん、
じぶんの力で最後までやり抜こうという気持ちを失っていきますし、
じっくり何かに取り組もうという気持ちも、得られないままになってしまいます。
だからどうぞ、
子どもが一生懸命になにかに取り組んでいるときは、
子どもが自分の成長のために大事な「しごと」をしているのだなと、
急ぎでなかったり大丈夫なときはできるだけ、
見守るようにしたいですね。

子どものしごとは、こんなふうに分かりやすいときだけじゃない。だから、謙虚に…なりたいですね

お人形は、子どものそばにいてほしいおもちゃのひとつです。
自分がだっこしてもらうように、抱っこしてあげる。
自分がいつもしてもらうように、お世話してあげる。
うれしくて、楽しくて、誇らしい。
自分の体験したうれしいことを、
お人形で追体験して、喜びを一緒に感じたり。
自分の体験した悲しいことを、
お人形で追体験して、悲しみを一緒に感じてもらって気持ちを整理したり。
だから、お人形は、「モノ」ではありません。
ひとりのともだちで、ひとりの家族になれます。
そしてその体験は、とても大事なものだったりします。
だから、大人のかたにお願いしたいことがあります。
子どもが別の遊びをしていたりお出かけしていたり、お人形で遊ばないときのお人形の居場所を、お部屋に用意してほしいなと思います。
おもちゃ箱にボン!ではなくて、
イスに座って、またはお布団にねんねして、
ひとりの「ひと」として、友達を待っていられる場所を用意してほしいなと思います。
お茶碗や家具なんかも、そうですよね。
大人がまずは、大事にする^^
その姿から、子どもは自然に学びます。


0-1歳さんのワークショップ。お父さんは、気づきの視点や注目するところがお母さんと違って、また新鮮です^^
22日の日曜日、かばんねこ3周年のありがとうワークショップ&講座がありました。
「あそびで育てる心と身体」というテーマで、
子どもと育ち総合研究所・主任研究員の宍戸信子先生をお招きしました。

子どもと育ち総合研究所・宍戸信子先生。関西弁で、楽しく、おおらかに、ママたちの気持ちに寄りそって、お話くださいます。
子どもと一緒に、良いおもちゃたちで遊びながら、
宍戸先生のお話をつうじて、今のお子さんの姿を知りましょう。
そして、
これから親のわたしたちは、どんなふうにその育つ力をお手伝いできるのか、
子どもの10年後、20年後、30年後にどんな姿になっていてほしいのかを想いながら、
みんなでお話を聴いてみましょう。
…というワークショップです。
まじめに、だけど、とにかく遊んで楽しく、未来にわくわくしながら^^

目をあわせて、ふれあって、お話しながら、おんなじおもちゃであそぼう^^つかむ、にぎる、振る、放す…、今この子は、どんなことができるのかな?何が楽しいのかな?
今日は、
0-1歳さんのワークショップ、2-3歳さんのワークショップの様子と
先生にうかがった、大事なことをちょっと紹介しますね。

2歳くらいまでは、自分の体をいろいろ使えることを発見する時期。
小さな子どもは、ちょっと遊んでは、次のおもちゃに、
またちょっと遊んでは、次のあそびに…、
ひとつの遊びに、じっくり時間をかけません。
「すぐ飽きる」
でもじつは、飽きているんじゃないんです。
ちびさんは、いったんその遊びに「満足した」ということ。
「満足して、終わった」ということ。
「おもちゃを持った」そして「しばらく持って、放した」
今はそれで終わらせだけで、飽きているわけじゃない。
だからちゃーんと、
そのうちにまた、同じおもちゃのところに、遊びに戻ってくるのです。
そういう視点があれば、
「またちらかった!」「片付かない!」も、ちょっと気分が違うかも。
ぜひぜひ何度も何度も、体験させてあげてくださいね^^

今、じぶんが楽しいこと。
今、じぶんがやっていて楽しいことを、繰り返す。
それが、子どもの遊びです。
でも、赤ちゃんは、まだまだできることが少ないですね。
だから、ひとつのおもちゃでのあそびの時間が、短いのですね。
「おもちゃを持っただけ」だけど、
それは、
「持つ」以上のこと…「振る」「放す」「持ちかえる」が、できないだけかもしれません。
そのうちに、何度もおなじおもちゃを「持つ」うちに、
『あれっ、なんか、音するよ!』って、
新しいこと「振る」が、したくなるし、
そうしておもちゃを動かそうとしているうちに、「振る」ができるようになる。
自分で動いて、できることを、ふやしていく。
それが、小さい子の遊びなんですね^^
できることが多くなることにともなって、
ひとつのおもちゃで遊ぶ時間も、しっかり長くなっていきますよ。

お母さんたちも、じっくり子どもと向き合う時間。おもちゃは、親子のコミュニケーションをお手伝いしてくれる、よい道具でもあります^^
ご飯を作ったりおうちの用事があったり、
大人はいつでも子どもにつきあえるわけじゃないけれど、
おもちゃはいつでも、すきなだけ、子どもにつきあってくれます。
子どものやりたい!という気持ち…「主体性」を、いつでも受け入れてくれる道具。
おもちゃは子どもにとって、安心で、うれしい存在でもあります^^

2-3歳のワークショップ。「色をあわせる」自分できめたことを、やりたい!やりきることが満足と達成感、そして自信にも。
おもちゃがあっても、子どもが遊ばなければ、大人が遊んで、「見せて」やればいいですよ。
赤ちゃんは、まわりの皆が立って歩いているから立つようになるし、ことばを話すようになるのです。
オオカミに育てられた女の子が、他の皆(オオカミ)が四足だから、二足で立たなかったように。ことばを話さなかったように。
「おなじ人間だったら誰でも自然に同じことができるようになる」ということは無くて、回りにモデルがあるからこそ、子どもは大人とおなじことができるようになっていくのです。
だから、
もし、遊びをみせてやっても、赤ちゃんが同じようにしなくても、大丈夫ですよ。
子どもはちゃーんと「見ている」から!
だから、ちゃーんと、やりますよ。
今はできないかもしれないけれど、やってみます。
明日かもしれないし、3日後かも。1週間後かも。1ヶ月後かもしれないけれど。
でも、ちゃーんと、やりますよ^^
赤ちゃんだって、やってみたいし、できたいし、動けることが、うれしいから!

講座のあとで、おもちゃ談義のみなさんの姿。「この積木、こんなふうに遊べるね」「遊んでてこれに気づいたら嬉しいよね!」楽しそうです^^
宍戸先生がおしえてくださったことで、みなさんがびっくりされていたのは、
「おもちゃが必要なのは、10歳まで」ということかもしれません。
10歳までの子どもは、自分でモノを触って、いろいろ試してみて、
具体的にものごとを知っていく時期。
その経験と、そこから得る知の土台があればこそ、
抽象的なこと…、紙にかかれている図形もイメージできるし、文章題も理解できるようになる。
だから、ものごとを考えるための「道具」として、
おもちゃの存在は、子どもにとって、おおきな意味があるのです。
(もちろん、その質は、吟味が必要ですよ!)
かばんねこにとっても、聴いていてわくわくしてしまう、学びの時間でした。
この記事で、少しでも、
そこで得られた「いいこと」が伝えられていたらうれしいです。
次回は、
4歳から学童期へのワークショップと、大人講座のことを紹介しますね^^