かばんねこ店主ブログ
コドモト

信じて待つなんて、大人だもん、できるもん!

子どもが、すっごい怒ります。
それは、こんなとき。

「じぶんでやる!」
「できるもん!」
「やりたい!」
…って言ってるのに、大人が分かってくれないとき。

まだ小さいからできないでしょ、とはじめから決めつけられたり、
そうじゃないでしょ、こうでしょ、と「できない」ことをわざわざ知らしめられたり、
危ないよ、だめだよ、と挑戦のチャンスを奪われたりする。

これはわがままから来ているのではない。
そう感じるほどに、子どもたちは激しく怒り、泣いて、抗議します。

 

大人は、子どもたちよりも能力があるわけではありません。
ただ、「先に大きくなって」「先にできるようになった」それだけ。

それなのに、子どもを「自分より劣ったもの、未熟なもの」として扱うことがある。
そして、子どもがやろうとしていることに手出ししたり、口出ししたり、禁止したりする。

 

でも、
ほんとうに子どもたちが望んで大人に言いたいことは、きっとこういうこと。
「お母さん!お父さん!
あなたは今はもうできるようになったかもしれないけど、
昔はあなたも子どもだったんだから、できなかったんだから、
その時のやりたい気持ちを思い出して、できない悔しさを思い出して、
私がどんなふうにすればいいのか、ちゃんと分かるように、お手伝いしてちょうだい!」

子どもは「できる」「やりたい」「じぶんで」くらいしか語彙がないから、うまく伝えられないだけ。
だから分かってほしくて、大騒ぎして、泣くのです。

おとなはただ、「子どもがひとりでできるように、手伝うこと」。
それだけでいいのです。

 

例えば、
自分で顔が洗えるように、洗面台に届くちょうどいい高さの踏み台とか、
自分で手を伸ばして取ったり掛けたりできるタオル掛け、
自分の手で扱うのに、ちょうど良い大きさのタオル。

そんな配慮を、子どものために最初から大人がしていてくれたら、
そんな「ひとりでできるように、場を整える」ことをしてくれていたら、
子どもたちはどんなにうれしいでしょう。

そして、
顔を洗うにはどうすればよいかを、
大人がゆっくり、ていねいにやって見せてくれる。

そうして実際に子どもがやってみるときには、
失敗しても上手になろうとがんばっているのだからと、
がんばる姿をちゃんと見て、子どもが自分で終わりにするまで待っていてくれたら、
子どもたちはどんなに安心で、うれしいでしょう。
信じて待っていてもらえることが、どんなに自信になるでしょう。

 

例えばほかにも、
子ども専用の道具(コップ、歯ブラシ、クレヨン、ハサミなど)は、子どもの手の届くところにいつもある。
着替えのタンスの中は、子どもが出し入れできるように整理して、ぎゅうぎゅうにしておかない。
子どもが使う道具は、子どもの使いやすいサイズで用意する。
遊びやすく、元にも戻しやすいように、おもちゃの大きさや量や、入れ物を考える…。

そんなふうに、
手出し口出しをする前に、
ただ先にできるようになっただけの、ぜんぜん偉くない大人の私たちは、
「まだできないだけ」の子どもという人のために、
想像して、先回りして、「場を整える」というお手伝いが、できるのです。

 

子どもが大人に求めている「お手伝い」とは、
「自分ひとりでできるようになる」ことへの配慮、です。

ただただ、「大人らしく」、
深い配慮をもって、その場に控えていること。

必要なことだけを教え、
必要なことだけを手伝い、
あとは
子どものやろうとする意志と情熱と、できる力を信じること。

 

なんでもやってあげれば子どもはうれしいんじゃない。
子どもが「ひとりでするのを」手伝えるように、その姿をよく見て控えている。
それだけで、いいのです。

 

そうやって、子どもたちがずっとずっと大きくなるまで、
自立に向かっていっしょに、
「できた^^」「できたね^^」
うれしい気持ちを、しっかり分かちあっていけたらいいな。

手出しするより、口出しするより、
できることを信じて、待つ。

とっても大事。
でもそれはじつは、
私たち大人には、すっごく難しいことなのだけど^^

 

でもね、大人のその努力は、
びっくりするぐらいの喜びになって、ちゃんと、かえってくるよ。

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