大人の事情
『大人の事情』
事情により母は動けなくなりました。よって晩ごはんを作れません。
子どもたちよ よろぴく^^♡
かばんねこ店主ブログ
「コドモト」
tag : 大人
『大人の事情』
事情により母は動けなくなりました。よって晩ごはんを作れません。
子どもたちよ よろぴく^^♡
「くつをそろえなさい」とか、「机をきれいにしなさい」とか…。
うるさく言っても、子どもにはぜんぜん効きません^^;
大人にはあたりまえのことだから、
「くつをどんなふうにそろえるか」とか「机をどんなふうにきれいにするか」とか、
そんなことは分かり切ったことだから、
「〇〇しなさい!」だけを伝えちゃうことは多い。
でも、子どもが小さい時、ちゃんと教えたっけ…??
イメージがぜんぜん無い子どもだからこそ、
あいまいな言葉を使わずに、
自分の体を動かしながら、
はっきりと、
わかりやすいように、
ゆっくり、
「さいしょに〇〇してね」「そしたら、〇〇してね…」って、
教えた??
靴の脱ぎ方、
はき方、
顔の洗い方、
体の洗い方、
洗濯物の干し方、
とり込み方、
いろいろ…。
子どもには「自分でちゃんとやりたい」気持ちがいっぱいあります。
それを応援する「やり方」を、親は考えなきゃいけないです。
『子どもの片づけ』
もし、大人が「部屋の片づけ」として
大きい箱になんでもかんでもボンボン投げ込んでいたら、
びっくりしちゃうんじゃないかな。
「まだ子ども」だから、「子どものもの」だから、
「おもちゃ箱にボンボン」でいいの?
子どもだって、遊びたいものがすぐに見つかるほうがいい。
いつでもセットが全部そろってるのがうれしい。
ものを丁寧に扱う気持ちよさも知りたいし、
自分で整理してみるってこと、できるってこと、感じたい。
「お片付け?遊び?」(コドモト)
「子どもが、なぜそんなことをしているのか」
ちょっと見て、考えてみるというのは
ほんの2分とかそれくらいの時間と努力で済みます。
でも、大人はできない…(* ̄□ ̄*ダヨネー
ぱっと見でどんな意味があるのか分からなかったり、
ちょっと迷惑だったりすると、
子どもがそれをやっても構わない状況や場面でも、
ダメ!と大きな声で禁止したり、
子どもの手を引っ張って止めさせたりします。
でも、ちょっと、ガマンがまん我慢gaman…!
子どもは、大人を困らせようと思ってやってるわけじゃない。
幼い子なら、なおさらです^^
「子どもは今、自分の成長のためのことをしているんだねー」
そんな視点があるだけで、
子どものすることに対する言葉かけや対応の仕方も、
きっと変わってくる。
少しづつ育っている子どもの姿も、見えてくる^^ウレシイヨ♪
大人は子どもに
「生き生き」「のびのび」とした表現を求めるけれど、
子どもが「いい表現」をするということは、
その子どものなかに
「いいもの」が入っていなければなりません。
そして、
その子のなかに「いいもの」が入っているかどうかは
その子どもがどれだけ「いい環境」のなかで
過ごしているかということに尽きる。
美しいものを見ている?
いい音を聞いている?
気持ちのいいものに触れている?
子どもと過ごす毎日のなか、
子どもが見たり触れたりするものに、
どれだけ周りの大人が意識を向けているか。
もしあなたが、そこに無頓着でいるなら、
あなたは、
子どもに「いいもの」を求めることはできない。
ままごと、子どもたちはよくしますね^^
でも、
食事の場面では、「作って」「食べる」
そこで終わることが多くないですか?
食べ終わったら、食器を下げて、洗う。
洗ったら拭いて、棚に片付ける。
食事をつくるところから食器をしまうところまでを
大人がつなげて見せてあげると、
子どもたちのまねごと遊びも
よりイメージ豊かにつながっていきます。
ごちそうを作るときも、
野菜を洗う、切る、炒める…と
ほんとうにお料理しているみたいに
具体的に、丁寧に演じてあげると、
子どもたちがどんどんイメージする力にもなります。
ままごとで大人が果たしてやる役割は、
こんなところにあったりします^^
愛してくれるから、人を愛することができる。
尊重してくれるから、人を尊重することができる。
信じてくれるから、人を信じることができる。
大事にしてくれるからこそ、報いたいと思う。
すべて、大人が子どもにしてあげることです。
子どもは、こうして育っていきます。
大人だからこそ、読んでみて^^
「飛ぶ教室」 エーリヒ・ケストナー
飛ぶ教室 (岩波少年文庫)
家庭訪問が、終わりました^^
5年生のタカハシ先生、1年生のイトイ先生。
家庭訪問は、日頃の無精から
「あわて大掃除」の負担が大きいのですが(^_^;)ダメネ〜
でも
先生と、15分でも
膝を付き合わせて話ができるというのも、
めったにない、ありがたい機会^^
わたしが先生に言いたいことはあまりないのだけれど、
先生には
「親以外の大人の人に、いっぱい関わってもらいたい」
という願いを、伝えています。
一緒に笑ったり、思いやってもらったり、叱られたり、
親以外の大人とかかわる経験を通じて、
子どもとしてのわきまえ方や自立を
子どもたちには
経験を通じて考えていってほしい、そう願っています^^
もちろんその先生が、
「人生の重要な良い出会い」になってくれたら
ほんとうに幸せ^^
本気で憧れる人に出会わないと
自分の小ささ、未熟さもわからないし、
自分もああいう人になれるのだという希望があればこそ
努力もできる。
それに、
子どもたちには、いい先生に出会ってほしいな^^
大好きで、あこがれで、信頼しちゃう先生。
そんな大人がいればこそ、
「大人って、いいな」
「大人になるって、いいな」って、思えるんだしね^^
タカハシ先生も、イトイ先生も、
子どもたちへの想いを感じる、すてきな先生でした。
良い出会いは、ほんとうにありがたい^^
そして親は、
すてきな先生にであったら、
子どものためにも、先生を応援しないとね!
先生だって誰だって、
批判より応援のほうがうれしいし、頑張れるから^^
「おかたづけ」…、ママの強敵であります^^ネ
「かたづけなさーい!」
「自分で出したものを片付けなさい!!」
「片付けなさいって言ってるでしょお!!!」
だんだん声が、荒ぶってきます(^^;
が、
おかたづけって、実はまずは「見せる」もの。
3歳より小さい子に
おかたづけが習慣になるようにと
強制してかたづけさせるのは、
あんまり効果がない(^^;
大人が片付けをする姿を、
日常的にどれだけ見せているか、
そしてそれを どんなふうにやっているか、
それが大事だったりします^^
どんなふうに というのは、
例えば
嫌そうに、文句を言いながら、
いかにもやってあげてる風に片付けているか、
または
ご飯だから片付けるよ〜^^って
さっさっとママから動いて片付けているか、
…とか、そういうこと。
つまり、片付けを「見せる」質と量。
これが、子どもの方向を決めちゃう(ーー;)エエー
ま、写真のような片づけ?遊び?をしていた人の親ですから
自分の首を絞めるようでもありますが、
まわりの大人の姿を
子どもは見て、
そしてまねて学ぶ、 …ということです^^コワイネー♡
「この子は集中力が無くて…」
こういう言葉を、よく聞きます。
でも、
集中力の無い子なんて、いるのかな(´・_・`)ウーン?
きつい言い方ですが、
私に言わせれば
「集中させてくれるほど面白いものに
出会っていない子」
「集中するほどのこともない、
つまらない環境しか与えられていない子」
なのだと思います。
子どもは、自分の興味のあることなら
いくらでも集中します。
もちろん大人も、そうですけどね^^デショ?
子どものいる環境は、
大人のお仕着せであってはならない。
思い切り遊び込みもしないで
「皆でおんなじ、型どおりの制作」や「お勉強」をしたって、
子どもの力には ならない。
生きる力や喜びになんて、全然ならない。
子どもをよく見て、
その子を、よく見て、
その子が、生き生きと集中することができるもの
一緒に感じよう^^
まだできないと思って
やらせてないこと、ないですか^^?
包丁
みつあみ
のこぎり
ナイフ
ちょうちょむすび
ほうきとちりとり
ぬいもの
トイレそうじ
丁寧に教えて
穏やかに助言して
待てば、
できる力が、
がんばる力が、
子どもには、いっぱいあります^^
大人の余裕が、
待つ力が、
子どもが育つ力を信じる心が
足りないだけ(^^カモ♪
桐生の七夕は、8月です^^
もう過ぎてしまいましたが、 そのときのこと…(^_^;)
子どもたちと、七夕飾りをつくりました♪
七夕飾りに、金魚ちゃん…(#^.^#)
折り紙の本を見て作ってみたら、
とってもかわいくてお気に入り♪
そんなわけで、今年は
おおよそ七夕っぽくない、七夕飾りになりました^^
毎年、七夕飾りの竹を
どこ?どこ?と大騒ぎをして探している母…(^_^;)
今年は川遊びの山でゲットであります^^ヨカッタア♪
それもこれも、子どもたちに
年中行事の思い出を、しっかり心で覚えておいてほしいからです。
子ども時代の年中行事の良い思い出は、
大きくなった時に、また大人になったときに、
その行事を大事にしようという心に通じると思っています。
自分より小さい子に、子どもたちに、
年中行事の喜びを、自分がしてもらったように与えてあげたい、
そんな気持ちを抱ける大人になってほしいな^^