娘の通う保育園で、
「子どもと食事」がテーマの講演会を開きました。
講師は、至学館大学(前・中京女子大学)の
新村洋史(しんむらひろし)先生。
「生きる力が育つ食育~食のいとなみが体をつくる・心を育てる」
という演題です。
昨年度、父母にアンケートをとった際
講演会で聞きたいテーマとして多く挙がったものに
「子どもの心身の発達と接し方・しつけ」、
「小児科などお医者さんの話・予防接種」に並んで
「食事や食べ物、添加物」といった希望が多かったのです。
新村先生は、
今の子どもたちの「食」の実態や発達の課題、
「食」と子どもの発達との関係、
「食」を通じて育つ子どもたちへの願い…、
ユーモアを交えながら、
子どもたちへの想いを強く発しながら、
だからこそ国の施策に語調を荒げるときもありつつ…
わたしたち親にとって、とても大切なお話をしてくださいました。
少しづつ紹介してみます。
まずは、いまの子どもの「食」の実態のこと。
① 好き嫌いが激しい。
好き嫌いが「多い」のではなく、「激しい」です。
好き嫌いというレベルではなく、
食べられるものが限られている、という意味。
さらには、
家で食べたことのない食材やおかずが並ぶ給食が食べられず、
「給食の時間が怖い!」と、脂汗が出たり、震えたり、
身体症状にも及ぶ子どもも。
② 噛めない、飲み込めない(咀嚼力の低下・未発達)
とにかく、噛む力が弱い。
硬いものが食べられない。
噛む力が弱いので、食物がいつまでも口の中に入っている。
よく噛めないので食物が小さくならず、飲み込めない。
そうして、なかなか食べ終わらない。
結局、ごちそうさまの前に、疲れてしまう。
そのため、食事を「おいしく、楽しく」食べることができない。
結局①のように「給食がいやだ」という子どもが少なくない。
③ 食に関わる体験の貧困化
多様な食材に接していないため、
「見たことがない」から食べられない、
「食べ物かも分からない」から食べられない、という現状も。
たとえば、ゼンマイを「ミミズだ!」といって怖がる。
ヒジキを「虫の死骸」だと言う。
さらには、
米と麦の区別ができない。
家業で飼っているニワトリを描かせると、脚を4本描く。
海の絵を描かせると、魚が切り身で海を泳いでいる。
米は自動販売機が作ると思っている。
ネギを知らない。
…びっくりしてしまいますが、
まったく笑いごとではないのだそうです。
海の物、山の物、田んぼでつくるもの、畑でとれるもの、
野菜の作り方、木になるとか土の中でできるとか、
いつの季節のものとか、料理の仕方、食べ方…
自分の食べるものの背景が、
うっすらどころではなく、ほとんど分からない子どもたち。
聞いていて、緊張してしまいました。
自分の子どもはどうだろう…?
食事の手伝いをさせたり、一緒に買い物をしたり、
じいちゃんの田んぼや畑に行ったりしているけれど、
わたしは意識して、ちゃんと教えていただろうか??
④孤食と個食…共食文化の衰退
日本は世界最悪の状況だということでした。
「孤食」とは、一人でご飯を食べること。
習い事や親の仕事の事情もあるでしょうが、
「子ども」の状況としては多すぎると。
私も何度となく感じることですが、
親は、子どもが一人で食事をとることを、
「仕方のないこと」として軽く見すぎてはいないでしょうか?
「個食」とは、一人ひとり、食べるものが違うこと。
お父さんは魚、お母さんはうどん、子どもはハンバーグ…、など
家族であっても、「それぞれ食べたいものを食べる」という
傾向があるということでした。
これは外食時の話ではありません、家庭の食事で、の話です。
また
学生など若い人の間では、仲間と一緒に飲み食いする時に
「大皿で分け合って食べる」ということをしないのだとか。
大皿料理をみんなでつつきあって食べる、
自分の食べているものを誰かのと少し交換して食べる、
友達とでさえ、鍋料理なんてもってのほか…
聞いていて、ちょっとさみしくなりました。
家族とでも、仲間とでも、「一緒に、同じものを食べる」経験って、
とても楽しくて、心にも豊かなひとときのはずです。
なぜでしょう?
すべては家庭での食事に、その変化のおおもとがあるのでしょうか?
「あなたたちの子どもたちは、一緒に食べることの楽しさ、美味しさ…、
ともに食事をすることを通じた、人との豊かな触れ合いの時間を、
十分に味わってきていない」
そういうことを暗に言われているように感じました。
「コショク」には、あと4つ加えて、
6つの「コショク」があるのだそうです。
「孤食・個食・固食・小食・粉食・濃食」
「固食」は、「固定食」…同じものしか食べないこと。
「小食」は、少ししか食べないこと。
また食事のときに1~2品しか、例えば「肉とごはん」だけを食べること。
「粉食」は、パンや麺類が多く、米食が少ないこと。
「濃食」は、味付けが濃いこと。
まったく、どれもよく言われていることですね…(-_-;)
④朝ごはんを食べない
これは全く「親がそうだから」としか言えないと。
下の⑥「遅寝・遅起き」にも関連しますが…。
⑤食べたとしても、その内容が問題
パン1個だけ、牛乳だけ、卵ごはんだけ、
親がそうだから、「コーヒーだけ」…!
⑥ライフスタイルという環境変化
子どもなのに、「遅寝・遅起き」が多いと。
結果、当然ですが朝食にも影響します。
食べない・気分的に食べられない・食べる時間がない…
習い事や、親の仕事の都合に合わせた結果とも
いえるでしょうが、
子どもは早く寝かせなければならない、といった
社会通念が通じなくなってきているのを私は感じます。
「眠くなったらそのうち寝るから」
「寝ないから」
「寝かしつける暇があったら家事をすませたいから」
「見たいテレビがある(と言う)から」
そんな話を聞くけれど、
それでも親はちょっと頑張るべきことではないのか?
と、もやもやとした不安な気持ちになります。
大人はともかく、①~⑥、これらの
好き嫌いが激しい、
噛めない・飲み込めない、
孤食・個食、
朝食を食べない、食べてもその内容が問題
遅寝・遅起き
これはすべて「子ども」の話です。
「家族で、一緒に、同じものを、楽しく」食べる、
朝ごはんを食べる、
こんなこと、言うまでもなく、
「子どもに無条件で与えられなければならない」ことではありませんか?
なぜこんなことが「問題」として挙がってこなければならないのですか?
それほど子どもたちの、「食」の環境が貧しくなっているのですか?
「食」の環境というより、家庭の、親の意識が。
そして親の意識を支える社会の意識が。
だって、赤ちゃんのころから、
それこそおっぱいの、ミルクのころから
子どもに食べさせてきたのは、親だもん。
何を食べさせるか、どんなふうに食べさせるか、
どんな食事の時間を過ごすか…。
家族で同じものを一緒に食べていれば、
いろんなおかずが食卓に並ぶでしょう、
柔らかいものも、硬いものも出るでしょう。
初めて見るものも、苦手なものもあるでしょう。
それをみんなで「一緒に食べる」ことを通じて
わたしたちはいろんなものを食べられるようになったのです。
食べ物のことを知ることができたのです。
人と触れ合うことの楽しさを感じることができたのです。
その大事な文化が、損なわれている。
子どもの健康と成長を願って供されるはずの家庭の食事。
一緒に食べることで育まれる、人とのつながりを喜ぶ心。
子どもの生活の中で、「食べる」ことが
あまりにも過小評価されている現実を聞き、
とても嫌でした。
毎日の生活の中で繰り返され、
あまりにもあたりまえすぎる食事の時間。
だからこそ、軽く見がちなのかもしれません。
だけど、そのあたりまえが
子どもたちの暮らしにはとても大事だってこと、
忙しいけど、めんどうなときもあるけど、
ちゃんと心にとどめておきたいです。