かばんねこ店主ブログ
コドモト

お兄ちゃんって、大変^^

どこのお家でも、兄ちゃんは、やさしいのであります。

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折り紙で飛行機を作っていると、

「やるー^^」といって、妹がきます。

 

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「こうやってー、こうやってー、…」

兄ちゃんは教えるけれど、2歳さんは聞いちゃいません。

下の子にとっては、だいすきな兄ちゃんと

同じことをすることに、意義があるのです^^

 

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できあがった飛行機に、ご満悦^^

「ぶうーん、ぶうーん♪」

兄ちゃんは、やっと自分の飛行機に取りかかれます。

 

…が、

 

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「ぶうーん♪」(ぶすっ…)

こうして、兄ちゃんは痛い思いをすることが、けっこうあるのです。

 

お兄ちゃんって、大変。

 

 

 

 

マザーテレサの生き方に、自分の存在理由を問われてみる

「インテグリティ」という言葉をご存知ですか?

先日、マザーテレサの生涯の生き方を通じて

この言葉を体現する彼女を感じる、そんな映画を観ました。

 

「インテグリティ」とは、ひと言でいうと、

「感情や状況によらず、

その人が本来持って生まれた使命を生きる」 こと、

つまり、「存在理由」 なのだそうです。

 

彼女は、

飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、

病気の人、必要とされることのない全ての人、

愛されていない人、誰からもケアされない人…、

その全ての人たちのために働きました。

 

彼女のインテグリティ(存在理由)、

それは、「神の愛の実践」です。

 

彼女は言います。

「食べ物の飢えは、食べ物を与えればいい。

けれど、心の貧困は、もっと深刻なのです。

誰からも振り向かれずに死んで行く人がいる。

最大の貧困は、愛です。」

 

そして、ともに彼らをケアする人たちに、

「笑顔を見せるだけでいいのだ」

と教えます。

 

「笑顔 = 受容」 だと、わたしは思いました。

他の誰でもない、「私」に向けられた、「愛」を感じる、

そのことが、とても大事なことなのだと思いました。

 

自分への愛を感じると、とてもうれしい。

愛される心地よさ、うれしさを感じて初めて、

愛される喜びを知って初めて、

私たちは自分もそれを、他の誰かに与えたいと願います。

愛されれば、愛することができる。

 

だから彼女は、

愛される喜びを、まずは人々に与えるのでしょう。

 

笑顔は、笑顔を引き出す。

愛は、愛を引き出す。

 

 

彼女の行動の初めは、

生きたままウジにたかられ、体中を食い荒らされ、

ひどい悪臭を放って倒れている

男性の体を洗ってやったことでした。

男性は問いかけます。

「なぜこんなことを?」

「愛しているから」

 

彼女は、神の愛を実践することを、迷いません。

どんなにありがたい申し出も、

自分のインテグリティに照らして

そぐわないものは受け入れません。

危険だから、大変だからといって、

何かと何かを天秤にかけて判断するようなことをしません。

 

損得でない。

迷わない。

ただ、神の愛を実践するために、生きる。

 

 

「食べ物など、与える量は問題ではありません。

どれだけ愛をもって与えたかです。

小さなことに、どれだけ大きな愛を込められるかが

大切なのです。」

 

彼女の言葉は、ちゃんと行動になって現れています。

息をちゃんとできずに苦しんでいる子の背中をさする姿、

声をかけるときのまなざし、

真摯で誠実な言葉。

 

自分の存在理由を確かに持ち、そして実践しているから、

言葉も、行動も、ぶれない。

全ては「神の愛の実践」というインテグリティから

彼女の思想や言葉や行動が生まれています。

 

だから、彼女と対峙するだけで、

わたしたちは、自分の中にある、

損得への執着や矛盾や迷いを、感じずにはいられません。

 

 

彼女は、こんな言葉を残しています。

「あなたの中の最良のものを」

 

「人は、 不合理 非論理 利己的です。

気にすることなく 人を愛しなさい。

 

あなたが善を行うと、

利己的な目的でそれを行ったと言われるでしょう。

気にすることなく続けなさい。

 

あなたが目的を達成しようとすると、

邪魔だてする人に会うでしょう。

気にすることなく続けなさい。

 

あなたがよい行いをしても、おそらく

忘れ去られるでしょう。

気にすることなく続けなさい。

 

あなたの正直さと誠実さが、

あなたを傷つけるでしょう。

気にすることなく

正直で誠実であり続けなさい。

 

あなたの作り上げたものが壊されるでしょう。

それでも

気にすることなく続けなさい。

 

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるかもしれません。

でも、気にすることなく

あなたの中の最良のものを、

世に与え続けなさい。

 

蹴り落とされるかもしれません。

でも気にすることなく、

最良のものを 与え続けなさい。」

 

この人は、この全てを、ずっと感じて生きてきたのですね。

でも、

「気にすることなく」、続けてきた。

 

悲しさや苦しさ、恨みたい気持ちを、

どうやってやり過ごしてきたのでしょう。

どんなにかつらい想いをたくさんしたでしょう、

それでも「愛」を与え続けられたのはなぜでしょう。

「愛」を返してくれた人の存在でしょうか。

それとも彼女の存在理由、それだけ…??

 

きっと「受け入れて」きたのだと思います。

そんな仕打ちをする人たちのことも、

負の感情に惑う自分の気持ちも。

悲しみも、怒りも、迷いも、受け入れられれば、

負の感情や損得の計算から自由になれる、

ではどうしようか、平静な気持ちで考えられる

そうすれば、心は迷わない。

ものすごく、ものすごく、難しいですけれど…!

 

 

「感情や状況によらず、

その人が本来持って生まれた使命を生きる」 こと、

自分の存在理由、「インテグリティ」

 

彼女の姿に、ほんとうに圧倒されました。

マザー・テレサの、言葉、態度、行動、すべてに迷いがなく、

ほんとうにひとつの存在理由によって

生きているのだと感じました。

 

わたしの存在理由は、何でしょう?

あなたの存在理由は、何ですか?

 

固いインテグリティは、強い。そして魅力的です。

 

たくさんの子どもたちとともにいろんなことをして、

いろんなことを一緒に感じながら生きていくことが、

わたしにとってとても大事なことです。

わたしも、自分の存在理由を探求していきます。

たくさんの子どもたちといろんなことをして、いろんなことを感じて生きていくことが、わたしにとって大事なことです。

3月11日、たくさんの祈りを届けたい ②

南三陸町・歌津地区の「折り鶴プロジェクト」。

桐生だけでなく、徳島・川口・藤岡など、

たくさんの地域で取り組まれています。

 

桐生市災害ボランティアネットワークでは

いろんな学校の生徒さん、ガールスカウトのみなさん、ボランティアさん、

保育園の子、たくさんの方たちに協力をいただき、

約2万個を超える鶴が集まりました^^

 

ブログで仲良くさせていただいています

誕生日プレゼント工場さんにも、

心のこもった祈りのお手紙とともに、折り鶴をいただきました^^

ありがとうございます!!

 

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我が家でも、賛同者がもくもくと手を動かしています^^

母の20倍くらい働いています…(-_-;)…

…それはともかく。

あれ?この折紙、何でしょう? 模様がついていますね♪

 

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この折り紙は、「船のおりがみ」。

おふろで遊べる、防水紙の折り紙です。

南三陸町に贈る折り鶴は外に飾るため、防水処理が必要なんです^^

 

左の赤は「海賊船」、右の白は「ヨット」ができあがるものですが、

今回は、こんなきれいな柄の折り鶴に変身しました^^

 

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こちらは 左が「宝船」、右が「豪華客船」^^

防水紙を探してたどりついた折り紙でしたが、

偶然にも面白い柄になりました♪

 

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そうして、

いろんな柄の、あざやかな鶴ができあがりました^^!

 

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さて、鶴がたくさん集まったら…

 

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色柄ごとに、仕分けして…

(あ、メッセージが見えますね♪ 子どもの字ですね^^)

 

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糸を通します^^

鶴→ストロー→鶴→ストロー…で、4メートルの連鶴を作ります。

一つの連なりに、90羽くらいでした^^

 

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糸は、たくさんの鶴の重さに耐える強い糸、

針は、鶴の胴体に糸を通すので、長い「布団針」を使います。

 

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「あきらめない心」 高校生の言葉です。

どのメッセージも、とても丁寧に、力強く書かれていました。

 

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「絆」 こちらは小学生です。

漢字を思い出しながら書いた子もいたのでしょう、

きっと「絆」って書きたかったんだな…^^という字もありました。

 

 

 

今回の折り鶴は、保育園児から高校生まで、たくさんの子どもたちに

作ってもらいました。

 

わたしたちの願いとして、

子どもたちが、テレビや新聞を通じてでなく

「実際に被災地に届けられる折り鶴」を作ること、それを通じて

かの地の人たちと自分がつながっていること、

他人事でないことをちゃんと感じてほしい。

そして

自分と同じ時間を過ごしているむこうの人たちに

思いをはせるきっかけになってほしい。

 

また

家族の人と折り鶴をつくる作業をしながら、それが

昨年の災害のこと、被災地の人たちのこと、支援のこと、

そして「自分たちは、いざというときどうするのか」、

防災について家族で話し合う機会になってほしい。

そう願って、子どもたちに折り紙を託してきました^^

 

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南三陸町歌津へ入る国道沿いには

「全世界のみなさんありがとう」と書かれた看板があります。

これは、世界中のたくさんの方から支援をいただいた

感謝の気持ちを伝えたい、そんな声が

被災された方たちから上がり、その気持ちが形になったものです。

ここに、折り鶴が飾られます。

 

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もう、町や看板の周りのがれきは撤去されていますが、

看板の前はご覧の通りの、なんともいえない風景となっています。

この看板の幅は、60メートル。

ここいっぱいに、たくさんの地から折り鶴が届けられ、

歌津の方たちの手によって飾られます。

 

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出来上がった連鶴は、絡まないようにして段ボールにつめて

南三陸町歌津地区に送りました。

3日から、折り鶴を飾る作業が始められているそうです^^

 

昨年の災害から、もうすぐ1年を迎えます。

いろんな思いを込めて折られた鶴が、

彼の地を彩り、犠牲になられた方を想うしるしとなってほしい。

そして記されたメッセージに、彼の地の人たちに

ちゃんとつながっている、全国のわたしたちのことを伝えてほしい。

 

3月11日には、私たちの代表が

むこうの一周忌法要に参加します。

そして、今後の活動の話し合いをしてくるそうです。

 

1年を迎えた後、どんな支援ができるでしょうか。

被災地の方たちとたくさん話し合って、よい支援ができますように。

小中学生の「留年」って、子どもを「想う」って…?

おとといだったでしょうか?

大阪市長・橋下さんの、教育についてのニュース。

公立小中学校で、留年があってもいいというやつです。

 

「5年生が4年生のクラスの授業を聞きに行く、

4年生が3年生のクラスの授業を聞きに行くということがあってもいい」

という橋下さんの発言の部分が流れていました。

 

そんなこと、できる?????

 

そんなこと、自主的にできる子どもって、いると思いますか?

「ぼくは算数が苦手でよくわからないから、

ちょっと4年生の授業を受けてみたい」なんて、

そんな「いい子」がいたら、怖いです。

 

下の学年の授業を受けに行く。

そんな光景があるとしたら、それはやっぱり、

「大人による一方的な評価と、命令」

によるものでしかない。

 

「できない」という評価を一方的になされ、

その後の処遇を勝手に決められる。

「じゃあがんばればいい」って、前向きに考えられる子はいるでしょうか?

もし、それが私なら…?

それも、今の私ではなくて、

世界がまだ狭くて、大人の影響力が絶大で、友達との関係が大事で、

10年かそこらしか生きていない、子どもだったら…???

 

下の学年の子だって、色眼鏡なく受け入れるでしょうか?

親は?きょうだいは?

なにより、同じ学年の友達は???

大親友は??

 

「できる・できない」

それを意識するようになるのは、4歳ころです。

あの子は○○ができるようになった、でも自分はできない。

自分は○○が上手だ、でもあの子はまだうまくできない。

他者と自分の姿を、客観的に見られるようになるのです。

 

そして、できないことがあると、

「いまはできないけど、できるようになりたい!」

そんな前向きな気持ちと、

「できないから恥ずかしい」

「うまくできないからいやだ」

そんなもんもんとした気持ちを抱きながら、

それでもできるようになりたくてがんばることができたり、

くじけたり、涙が出たり、

でも友達と応援しあって勇気をもらってがんばったりして、

できるようになる。

 

4歳という小さい彼らにも、「自尊心」がある。

それを周りの大人はわかってやりながら、

「できることになるってうれしいよね」

「がんばってるね」

「もうちょっとでできそうだね、すごいね」

「できた!やった!やった!」

って、共感して、

子どもの「できるようになりたい気持ち」を大事にしながら、

「できるってうれしいな」「わたしってすごいな」

って、子どもが自分で思えるようにサポートする。

 

がんばることの尊さ、できることのすばらしさを自分でちゃんと感じ、

自分はがんばれる、そしてできる、価値のある人間だ。

子どもにそういう心を育てていけるよう努力することが、

大人の務めのはずです。

 

それは、小さい子でも、大きな子でも、変わらない。

大人だって同じです。

私たちは、

他者から認められて初めて、自分の価値を感じることができるのだから。

 

子どもを学力という面で一方的に評価し、

それがその子のすべての価値であるかのようにして

子どもに競争を課す。

それは、いちばん楽で、そして乱暴なやり方です。

 

学校は、勉強をするところだけれど、

同じ年頃の友達と集団で暮らすことができる大事な場です。

そこで、ケンカしたり、もめごとがあったりしながらも、

友達っていいな、仲間っていいな、

クラスのみんなで何かができるって楽しいな、

そんな、人とふれあうことの楽しみを、豊かに味わえる場所です。

その大事な場所を、子どもたちにも親にも先生にも、

競争の場としてのみ感じてしまう制度はあってほしくない。

 

1年生の次は2年生、その次は3年生、…。

「あなたはここにいていい、何が得意とか、何ができないとか関係ない、

○○市の、○歳の子どもという、それだけでいい」という存在の保証。

それさえも保障しないというのは、横暴にすぎます。

それも、学力の面だけで。

「○年生になったら、…」という明日を夢見ることも許さないなんて、

許さない。

 

子どもには、居場所が必要です。

条件付きでない、「あなたがいていい」場所。

家庭にも、一日の多くの時間を過ごす、学校にも。

居場所があって、自分を認めてくれる場所があってはじめて、

自分を大事にする心や、自尊心が育ちます。

わたしは、

子どもに多くを求める前に、与えるべきものを、ちゃんと保障してあげたいです。

 

障害のある子のこと、音楽や体育のこと、いろんな課題をはらむ問題です。

橋下さんも、子どものことを想って、という部分は変わらないはず。

多くの人に、子どもたちのことを想って、たくさんの議論を尽くしてほしいです。

大阪市・橋下市長の小中学生の「留年」って、子どもを「想う」って...?

いちご味のお酢のシロップを使って、おいしいおやつ^^

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長野県でアイスクリーム屋さんをされている

あったか屋☆ほし」さんより、

お酢のシロップ、「ビネガーシロップ」が届きました^^

 

「美味しく食べられて、飲めるお酢」をコンセプトに

イタリアンのシェフさんが、お酢の蔵元さんと作り上げたものだそうですよ^^

 

頂いたイチゴの他にも、

ブルーベリー・生姜・ゆず・ミカンなど、いろんな種類があります。

 

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瓶を開けると、ふわんといい香り…

お酢といちごの、甘い、酸っぱい、いい匂い^^

まずはアイスクリームにかけて、いただきます!

 

甘ーいアイスクリームに、ピリッと酸っぱい、

それがとってもすてきなアクセントになって、美味しい^^

 

アイスクリームは、いつも一個全部を食べきれないのですが、

たくさんいただいてしまいました^^

 

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お次は蒸しパン^^

生地をとろーりカップに入れて…

 

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イチゴのビネガーシロップを入れます^^

いい色!

軽ーく混ぜて蒸し器で蒸して…

 

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できあがり!

ほんのり、ほんのり、ピンク色^^

 

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カップを取ると、ほの赤い いい色が見えました^^

子どもたちも、お酢の酸味を強く感じないのでしょうね、

イチゴの風味がとっても美味しくて、ニコニコです^^

 

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あんまりおいしいので、さらにシロップをかけていただきました^^

 

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いい色も、ごちそうです^^

 

ところで

お酢だけど大丈夫かな…?と 心配だった5歳さんは…

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お皿に残ったシロップを蒸しパンにつけて…

 

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無心に食べています^^

柔らかい酸味だからかな、おいしくいただけているようです♪

 

まだまだいっぱいあるビネガーシロップ、次は…

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バナナヨーグルト^^

酸味×酸味…だけど甘い!

不思議においしい^^

 

それから…

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ヨーグルトがおいしかったので、ヨーグルトケーキ^^

こちらはお砂糖入りですが、やっぱり酸味がおいしい!

 

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翌日には、蒸しパンのおかわり^^

 

ただの酸っぱいお酢じゃなくて、

ただの甘いシロップじゃなくて、

甘くて酸っぱい、お酢のシロップ^^

 

原材料は、「天然醸造のお酢、砂糖、いちご、はちみつ」

余計な添加物はありません。

 

子どもたちにも安全でおいしい、

体のためにもとってもうれしい、

あったか屋☆ほしさんの「ビネガーシロップ」

お勧めします^^

 

ごちそうさまでした!

だいすきなじいちゃんに、バレンタインデー♡

だいすきな人にチョコレートを贈る日、バレンタインデー♡♡

子どもたちは、だいすきな秋田のじいちゃんに、

じいちゃんが大好きな、あんこのおまんじゅうをつくりました^^

 

まずは生地を丸めておだんごにします^^

粉、たまご、はちみつ、豆乳、

まぜまぜまぜて、

くるくるまるめておだんごに^^

 

お団子をつぶして、あんこをくるみます^^

おだんごつぶして あんこをのせて、

生地をまとめておまんじゅう^^

 

ドライフルーツやナッツで、顔を作ります^^

そしたら顔をつけましょう

レーズン、ドライフルーツ、アーモンドスライス、カシューナッツ…

目と、鼻と、口と、耳と…^^

 

それじゃあ焼くよ^^!

はい! かわいいおまんじゅうのできあがり^^

さてこれを

オーブンで焼きます

「焼く間に、おふろにはいっておいで~^^」

 

いい匂い!でもおまんじゅうがくっついちゃった^^

おふろからどたどた出てきたら、

わあ いい匂い!

おまんじゅうが出来てるよ^^

あれあれ生地がふくらんで

おまんじゅうどうしがくっついちゃった(^_^;)

 

ふわふわ♡甘ーい♡、かわいいおまんじゅうの出来上がり^^

パンダにくまちゃん、お花に自分の顔…^^

じいちゃんは喜んでくれるかな?

 

 

ところで、

母から子どもたちへの贈りものは…^^

 

チョコレートを溶かします^^こちらもいい匂い^^

子どもたちがおふろに入っている間に、

チョコレートを湯せんで溶かして

豆乳でのばします。

 

それだけ^^!

 

イチゴのチョコレートかけは、ほんとうに美味しいです^^

とっても簡単、でもとってもおいしい

果物のとろとろチョコレート^^

 

おいしい「いい顔」は、お母さんの特権かも^^

いい顔で、いっぱい食べてくれました^^

そのいい顔が、母は大好きなのです。

いつもありがとう!

 

3月11日、たくさんの祈りを届けたい

宮城県・南三陸町のかたからの声かけがあり、

「災害ボランティアネットワーク桐生」にて

南三陸・歌津「鎮魂・希望・折り鶴プロジェクト(仮称)」

協力をすることになりました。

 

259.JPGのサムネール画像

 

折り鶴を、1万個折ります。

屋外で使うので、雨にぬれても大丈夫な素材を使って

鶴を折り、そして、羽にメッセージを書きます。

それを3月11日の日に、

南三陸・歌津地区の中学校にある

メッセージボードの周りに飾るのだそうです。

 

会員のつてで、一般の人に、たくさん折ってもらうことにしました。

学校でボランティアを募って泥搔きに参加してくれた、

桐生高校や樹徳高校、桐生工業高校にも声をかけます。

ガールスカウトやボーイスカウトの子どもたちにも

協力してもらいます。

 

どんなメッセージが、折り鶴に書きこまれるでしょうか。

鶴を折りながら、どんなことを思うでしょうか。

 

このプロジェクトは、南三陸からの依頼ではありますが、

「忘れていないよ ずっと気に懸けているよ」

かの地の人たちに、私たちの気持ちを

目に見える形で、心に寄りそうやり方で伝えられる

そんな取組みでもあると思います。

 

なぜかというと、

わたしは この取り組みのなかで、

「一人ひとりが、折り鶴を折って、メッセージを書く」ということが、

とても大事なところだと思っているからです。

 

慌ただしい毎日のなか、

被災地はまだまだ復興に向けて大変な中にいるということは

知っていても、日常に取り紛れてしまう。

だけど、

たまたまの縁でもいい、頼まれてでもいいから、

「折り鶴を折る」「メッセージを書く」、

そういう作業をすることで、

かの地へ思いをはせる時間が少しでもあること、

そのことが、とても大事なのだと思います。

 

そして、そんな

「忘れさせない取組み」を続けていくことも

私たちのような会の役目なのだろうなあ、とも思ったり。

 

折り鶴は

形だけのもの、その場限りの気持ちのもの、

何の助けにもならない、腹の足しにもならないもの、

ゴミになるだけ…

そういう声もあります。

確かに、そういう面もあるでしょう。

ただ、

私たちのように、炊き出しに行ったり、泥搔きに行ったり、

お楽しみイベントをしにいったり、

必要な自転車やパソコンを届けたり…、

直接被災地に赴いて、気持ちを届けることができる人は

限られています。

だけど、そのほかのたくさんの人たち…、

直接被災地に行って

向こうの人たちと接したりすることはできないけれど、

募金をしたり、物資を送ったり、

被災地のものを買ったり、

そういうかたちで被災地に心を寄せている人は、たくさんいます。

 

そんな人たちのことを、彼らの心を、

たくさんの折り鶴にして、目に見える形で、表現したい。

被災地の人たちに、

彼らに心を寄せるたくさんの人の存在を

感じてもらえたらと思います。

そして3月11日、ともに、祈りたい。

 

 

折り鶴は、2月の中旬までに仕上げて、

3月の初めころには南三陸町に届けます。

協力できる方は、ぜひお願いします^^

できあがった鶴は、下記まで送ってくださると助かります。

〒376-0011 群馬県桐生市相生町3-149-6

かばんねこ 宛

子どもと食事①びっくり?納得?今の子どもの食の実態

娘の通う保育園で、

子どもと食事」がテーマの講演会を開きました。

講師は、至学館大学(前・中京女子大学)の

新村洋史(しんむらひろし)先生。

「生きる力が育つ食育~食のいとなみが体をつくる・心を育てる」

という演題です。

 

昨年度、父母にアンケートをとった際

講演会で聞きたいテーマとして多く挙がったものに

「子どもの心身の発達と接し方・しつけ」、

「小児科などお医者さんの話・予防接種」に並んで

「食事や食べ物、添加物」といった希望が多かったのです。

 

新村先生は、

今の子どもたちの「食」の実態や発達の課題、

「食」と子どもの発達との関係、

「食」を通じて育つ子どもたちへの願い…、

ユーモアを交えながら、

子どもたちへの想いを強く発しながら、

だからこそ国の施策に語調を荒げるときもありつつ…

わたしたち親にとって、とても大切なお話をしてくださいました。

 

少しづつ紹介してみます。

まずは、いまの子どもの「食」の実態のこと。

 

① 好き嫌いが激しい。

好き嫌いが「多い」のではなく、「激しい」です。

好き嫌いというレベルではなく、

食べられるものが限られている、という意味。

さらには、

家で食べたことのない食材やおかずが並ぶ給食が食べられず、

「給食の時間が怖い!」と、脂汗が出たり、震えたり、

身体症状にも及ぶ子どもも。

 

 

② 噛めない、飲み込めない(咀嚼力の低下・未発達)

とにかく、噛む力が弱い

硬いものが食べられない。

噛む力が弱いので、食物がいつまでも口の中に入っている。

よく噛めないので食物が小さくならず、飲み込めない。

そうして、なかなか食べ終わらない。

結局、ごちそうさまの前に、疲れてしまう。

そのため、食事を「おいしく、楽しく」食べることができない

結局①のように「給食がいやだ」という子どもが少なくない。

 

 

③ 食に関わる体験の貧困化

多様な食材に接していないため、

「見たことがない」から食べられない、

「食べ物かも分からない」から食べられない、という現状も。

たとえば、ゼンマイを「ミミズだ!」といって怖がる。

ヒジキを「虫の死骸」だと言う。

さらには、

米と麦の区別ができない。

家業で飼っているニワトリを描かせると、脚を4本描く。

海の絵を描かせると、魚が切り身で海を泳いでいる。

米は自動販売機が作ると思っている。

ネギを知らない。

…びっくりしてしまいますが、

まったく笑いごとではないのだそうです。

 

海の物、山の物、田んぼでつくるもの、畑でとれるもの、

野菜の作り方、木になるとか土の中でできるとか、

いつの季節のものとか、料理の仕方、食べ方…

自分の食べるものの背景が、

うっすらどころではなく、ほとんど分からない子どもたち。

 

聞いていて、緊張してしまいました。

自分の子どもはどうだろう…?

食事の手伝いをさせたり、一緒に買い物をしたり、

じいちゃんの田んぼや畑に行ったりしているけれど、

わたしは意識して、ちゃんと教えていただろうか??

 

 

④孤食と個食…共食文化の衰退

日本は世界最悪の状況だということでした。

「孤食」とは、一人でご飯を食べること。

習い事や親の仕事の事情もあるでしょうが、

「子ども」の状況としては多すぎると。

 

私も何度となく感じることですが、

親は、子どもが一人で食事をとることを、

「仕方のないこと」として軽く見すぎてはいないでしょうか?

 

「個食」とは、一人ひとり、食べるものが違うこと。

お父さんは魚、お母さんはうどん、子どもはハンバーグ…、など

家族であっても、「それぞれ食べたいものを食べる」という

傾向があるということでした。

これは外食時の話ではありません、家庭の食事で、の話です。

また

学生など若い人の間では、仲間と一緒に飲み食いする時に

「大皿で分け合って食べる」ということをしないのだとか。

大皿料理をみんなでつつきあって食べる、

自分の食べているものを誰かのと少し交換して食べる、

友達とでさえ、鍋料理なんてもってのほか…

聞いていて、ちょっとさみしくなりました。

 

家族とでも、仲間とでも、「一緒に、同じものを食べる」経験って、

とても楽しくて、心にも豊かなひとときのはずです。

なぜでしょう?

すべては家庭での食事に、その変化のおおもとがあるのでしょうか?

「あなたたちの子どもたちは、一緒に食べることの楽しさ、美味しさ…、

ともに食事をすることを通じた、人との豊かな触れ合いの時間を、

十分に味わってきていない」

そういうことを暗に言われているように感じました。

 

「コショク」には、あと4つ加えて、

6つの「コショク」があるのだそうです。

「孤食・個食・固食・小食・粉食・濃食」

 

「固食」は、「固定食」…同じものしか食べないこと。

「小食」は、少ししか食べないこと。

また食事のときに1~2品しか、例えば「肉とごはん」だけを食べること。

「粉食」は、パンや麺類が多く、米食が少ないこと。

「濃食」は、味付けが濃いこと。

まったく、どれもよく言われていることですね…(-_-;)

 

 

④朝ごはんを食べない

これは全く「親がそうだから」としか言えないと。

下の⑥「遅寝・遅起き」にも関連しますが…。

 

⑤食べたとしても、その内容が問題

パン1個だけ、牛乳だけ、卵ごはんだけ、

親がそうだから、「コーヒーだけ」…!

 

⑥ライフスタイルという環境変化

子どもなのに、「遅寝・遅起き」が多いと。

結果、当然ですが朝食にも影響します。

食べない・気分的に食べられない・食べる時間がない…

 

習い事や、親の仕事の都合に合わせた結果とも

いえるでしょうが、

子どもは早く寝かせなければならない、といった

社会通念が通じなくなってきているのを私は感じます。

「眠くなったらそのうち寝るから」

「寝ないから」

「寝かしつける暇があったら家事をすませたいから」

「見たいテレビがある(と言う)から」

そんな話を聞くけれど、

それでも親はちょっと頑張るべきことではないのか?

と、もやもやとした不安な気持ちになります。

 

 

大人はともかく、①~⑥、これらの

好き嫌いが激しい、

噛めない・飲み込めない、

孤食・個食、

朝食を食べない、食べてもその内容が問題

遅寝・遅起き

これはすべて「子ども」の話です。

「家族で、一緒に、同じものを、楽しく」食べる、

朝ごはんを食べる、

こんなこと、言うまでもなく、

「子どもに無条件で与えられなければならない」ことではありませんか?

 

なぜこんなことが「問題」として挙がってこなければならないのですか?

それほど子どもたちの、「食」の環境が貧しくなっているのですか?

「食」の環境というより、家庭の、親の意識が。

そして親の意識を支える社会の意識が。

だって、赤ちゃんのころから、

それこそおっぱいの、ミルクのころから

子どもに食べさせてきたのは、親だもん。

何を食べさせるか、どんなふうに食べさせるか、

どんな食事の時間を過ごすか…。

 

家族で同じものを一緒に食べていれば、

いろんなおかずが食卓に並ぶでしょう、

柔らかいものも、硬いものも出るでしょう。

初めて見るものも、苦手なものもあるでしょう。

それをみんなで「一緒に食べる」ことを通じて

わたしたちはいろんなものを食べられるようになったのです。

食べ物のことを知ることができたのです。

人と触れ合うことの楽しさを感じることができたのです。

その大事な文化が、損なわれている。

 

子どもの健康と成長を願って供されるはずの家庭の食事。

一緒に食べることで育まれる、人とのつながりを喜ぶ心。

子どもの生活の中で、「食べる」ことが

あまりにも過小評価されている現実を聞き、

とても嫌でした。

 

毎日の生活の中で繰り返され、

あまりにもあたりまえすぎる食事の時間。

だからこそ、軽く見がちなのかもしれません。

だけど、そのあたりまえが

子どもたちの暮らしにはとても大事だってこと、

忙しいけど、めんどうなときもあるけど、

ちゃんと心にとどめておきたいです。

子どもと食事の講演会

ありがとうございます^^!

あけましておめでとうございます!秋田県大仙市・雪景色がとても好きです^^

遅ればせながら…

新年あけましておめでとうございます。

 

旧年中は、なかなか更新されないブログに

気長におつきあいいただき、ありがとうございました。

心より、心より、感謝いたします!

ありがとうございます^^

 

これからも、

あなたの健やかで、すばらしい毎日を

お祈りいたします。

 

そして日本と世界が、これからも

よりよいほうに向かっていけますよう

願い、努力します。

 

そして子どもたちには、

これからも健康で、

だいすきな家族や友だちと一緒に、

明日を楽しみに、

そして将来を楽しみに、

毎日を過ごしてほしいです。

 

子どもたちよりもちょっとだけ力のある

大人のわたしは、

今年、彼らのために

どんなことができるでしょうか?

 

いつでも

子どもたちの側に立って

ものを見たり、感じたり、考えたり、

そして行動できるよう

心を保ちたいと思います。

 

雪の道路もいい遊び場になります^^

新年初の雪遊びを眺めつつ…

 

この二人の子どもたちと、

他のたくさんの子どもたちをめぐる

すべてのものが、よいものでありますように。

 

また一年、

元気にニコニコ過ごしていきましょう^^!

サンタさんへの手紙^^

もうすぐクリスマスですね^^

サンタさんが来てくれる日を、心待ちにして過ごす12月。

家の子どもたちも、サンタさんへの手紙を書きました。

 

サンタさんに手紙、なんて書こうかな^^

折り紙でサンタさんを折り、顔を描いて、絵を描いて、

少しずつ書けるようになってきた覚えたての字で

ゆっくりお手紙をつづります^^

 

サンタさんの手紙、できたあ^^!

できた^^!

自分の名前と、サンタさんに伝えたいことを

自分でがんばって書きました。

「さんたさんだいすき」

 

まんなかの長い手紙は、お母さんに書いてもらいました^^

「きをつけてね となかいがんばってね」

というところが、母は好きです^^

 

 

サンタさんへの手紙。心のなかに、できるだけ長くサンタさんを住まわせてほしいな^^

こちらは兄ちゃんの手紙。

3年生です^^

丁寧に書いています。

 

「子どもたちが書いた手紙を

クリスマスツリーに挿しておくと、

サンタさんのお手伝いをしている小人が

サンタさんのところに届けてくれるのです…。」

そんな絵本を読んでから、

サンタさんへの手紙が毎年の習わしになりました。

 

心のなかにサンタさんを住まわせることができるって、

とっても幸せなことだと思います。

サンタさんが来てくれる、と信じることは、

幸せな期待を持って、何かを信じること。

そしてその幸せな期待は、ほとんど必ずかなえられます。

 

そういう経験を小さいころに何度もできることは、

不確実な「何か(誰か)を信じる」ことができる幸せや、

不確実な「何か(誰か)を信じる」、心の強さに

通じるのかもしれないな、なんて思ったりします。

 

今日あたり、

手紙がツリーからなくなっているかもね^^!

そしたら、

「手紙が無くなった!」

「小人さんがもってった!」って、

とってもいい顔で、教えに来てくれるでしょう^^

ものを贈る、贈られるということ

わたしと同じおもちゃコンサルタントで、

わたしと同じ「グッドトイ選考運営委員」、

だけどわたしと違って、わたしの憧れる(=できない)

手仕事のお仕事をされている、

フェルトのおもちゃ作家、ちあんじゅ。さんが、

「かばんねこのかばん」をプレゼントしてくれました^^

 

かばんねこのかばん

 

ちあんじゅ。さんは、

子どもたちが遊びながらボタンをはめる練習ができたり、

あそびを通じて数字や文字に触れることができたり、

ひも通しの要領で、ママのお裁縫のまねごと(ままごと)ができたり…

子どもの育ちを手作りおもちゃでお手伝いすることで、

ママたちのお手伝いをしたいという願いをもって

毎日チクチクとお仕事をされています。

 

クラフトフェアに行ったときに、

「あ、ちあんじゅさんボタン好きかな~^^」

「ボタン穴がずれてたりする、こんな手作りのボタンも好きかも知れないな~^^」

と、木工作家さんの作ったボタンをいくつかおみやげにしたのを

こんなすてきなかばんにして、お返ししてくれたのです^^

 

かばんねこのかばん(裏側)

こちらが裏側。

「かばんねこ」らしく、魚がワンポイントになっています^^

 

なにかのお礼を、と考えたときに、

または、なにかプレゼントを、と思ったときに、

手作りのものを考えられる、そしてできる、というのは、

ほんとうにすばらしいことだと思います。

 

相手への感謝を伝えるために、

または相手への想いを伝えるために、

その人のために何がいいかを考えて、

その人のためににアイディアを練り、

その人のために材料をそろえ、

その人のために時間をかけて仕上げる。

その手間のかかる過程そのものが、とてもありがたく、

尊いことだなあと思うのです^^

 

手書きのはがきがうれしかったり、

手作りのケーキや手編みのマフラーが喜ばれるのは、

相手が自分のためにかけてくれた

時間と手間を、ちゃんと感じられるからです。

 

かばんねこのかばん(中が見えるようにサンタさんのつっかい棒)

ちあんじゅさんも、

かばんを持つところに、手間をかけて茶色の持ち手をつけてくれています。

かばんの裏地も、縫い目が見えないように、きちんと処理してくれています。

さすが作家さん!と思うけれど、それだけじゃないんだなあと思います。

慣れていたって、それだけ時間がかかるし、手間もかかる。

 

贈られるひとが、どうしたらうれしいかとか、

こんなふうに作ったらうれしいだろうなとか、

こんな工夫をしたら使うときに便利だろうなとか、

相手に想いを馳せて、いろんなことを考えられるかどうかなのでしょう。

 

わたしが返礼としてできる手仕事は、

手書きのはがきやカードくらいしかないのですが、

子どもたちがだれかに贈り物を考えるときは、

できるだけ手作りのものを一緒に考えるようにしています。

赤ちゃんにはペットボトルを使ったガラガラだったり、

小さい子には木片とねじを使ったバードコールだったり、

祖父母だったら絵を描いたり、

へたくそな刺繍のハンカチだったり…

 

ものを贈る、贈られる、ということの意味を、

そして、相手にきちんと想いを馳せるということを、

体と心で、ちゃんと感じてほしいなと思っています。

 

ちあんじゅさんからいただいた「かばんねこ」のかばん、

ほんとうにうれしいです。

誰かに想ってもらえることのありがたさ、

誰かを想うことの大切さ、

あらためて、心から感じる機会をいただきました。

 

ありがとうございます^^

子どもたちに夢を抱かせないのはだれ?

植松電機さんとロケット

北海道・赤平の小さな町工場、植松電機の、

植松社長のお話を聞きました。

社員のみんなで

リサイクル用パワーショベルにつけるマグネットを開発・販売し、

「趣味」で誰もが「どうせ無理」と考える

ロケットの実用化にチャレンジしつづけている会社です。

 

誰 も があきらめるような夢を

小さな会社でもできることを示せば、

世の中から「どうせ無理」という

「人の可能性」をつぶす言葉をなくせる、と語る植松さん。

 

飛行機やロケット、

好きなことをがんばって

「どうせ無理」と言われ続けたことを

実現し続けている植松社長です。

 

だからでしょうか

「可能性に満ちあふれる」子どもたちへの想いも

何度も語られ、子どもたちの夢を守りたい、

応援したい、という強い心を感じました。

とても心強く、幸せな想いで聞きました。

 

彼は、この世から

「どうせ無理」という言葉をなくしたいと言います。

 

どこに行っても、「どうせ自分にはできない」

「無理だ」、そんな言葉が聞こえてくる。

大人も、若い人たちも、子どもたちまでも。

 

好きなことがあっても、

やってみたいことがあっても、

自分の可能性を最初からあきらめ、

努力しようとしない。

 

どうせ無理、と言ってしまったら、

それは「なにもしなくてもいい」、ということと同じです。

「どうせ無理」は、

努力をあきらめ、楽をするための言葉です。

 

楽をすると、無能になります。

無能になると、自信が持てなくなります。

それでも自信を持つためにはどうすればいいか?

それは、他者を批評すること、荒探しすること、それしかない。

「なにあんなこと言って」「バカなことしてる」「できるわけない」…

そして、他者から心を奪う。

そして心を奪われたその人は、自信を保つために、

そのまた他者を批評し、荒探しして、心を奪う。

言葉で、人の心を殺し合うのです。

 

殺人がいけないのは、

「一人の人間の可能性を殺すことだから」です。

その人が為すはずだったこと、

その人が他者に与えられたこと、

生きていくことで手にするはずだった可能性を、

無にしてしまうからです。

 

言葉で人の心を殺すこと、

「どうせ無理」という言葉で人の可能性を奪うことは、

殺人と同じです。

 

人は、

「やったことがないこと」「知らないこと」としか、出会わないのです。

赤ちゃんは、立とうとする、歩こうとする、お話しようとする。

「自分にはできない」なんて、考えてない。

 

赤ちゃんが頑張って立とうとするのは、

さっそうと歩き、楽しくおしゃべりする、

自分より大きい人たちに憧れているから。

自分もやってみたいから。

 

保育園の子が、「やったことがないからできない」と言いますか?

いえ、言いません。

彼らに何かを「やってみたい人!」と聞くと、みんなが手を挙げる。

知りたがり屋の、やりたがり屋です。

 

それがどうして

大きくなるにつれて

「どうせ無理」「自分なんて…」「できるわけないじゃん」

キラキラした顔をなくしてしまうのか。

知りたい!やってみたい!と思う前に、そんな気持ちを持つようになってしまうのか。

 

それは、

大人が何度も何度も教えるから、です。

「どうせまだできないんだからやめなさい」

「やったことないんだからできないわよ」

「そんなことできるわけないでしょ」

「バカ言うんじゃない」

「そんなことをしている暇があったら勉強しなさい」

 

好きなことなら、努力できる。

夢につながる。

だけど、小学校、中学校、高校と進むほど、

「夢みたいなこと言ってないで」

「よけいなことばかりしてないで勉強しなさい」

「あんたの成績じゃ無理よ」

「できるわけないでしょう」

大人が、子どもたちにあきらめることを教えている。

 

子どもたちが為される進路相談は、

「君の入れる高校・大学はこことここ」「そこは無理」

成績による憶測で評価し、振り分けるだけの場になっている。

子どもたちの好きなこと、やりたいこと、夢なんて、考えてない。

 

夢を実現させるために、その子がどうやって進んでいくべきか

その道を探す「進路相談」の場ではなくなっているのです。

「成績をもとにした他者の憶測による評価」

それに子どもたちだけでなく、親も振り回されている。

 

わが子の価値を、他人に評価させるから変になるのです。

自分でちゃんと見て、評価しよう。

わが子の将来への進路選択を他人に委ねるから、おかしくなるのです。

わが子の未来は、自分が支えよう。

 

大人は、自分にとって「都合のいい」子を求めてはいけない。

大人は、信じるに値する未来を、

全力で支え、応援しなくてはいけません。

子どもたちの心を支えてやらなければなりません。

キラキラの顔を、そのままに育てたい。

 

「学力」とは、「学ぶ力」

どうせ無理、と

やらない言い訳をする人は、成長する可能性は、ありません。

だけど、子どもたちは最初から

好きなこと、やりたいことをがんばる力を持っている。

 

Dream can do,

Reality can do.

思えば、招く。

 

子どもたちの大好きなことを奪わなければ、

夢を奪わなければ、

すばらしい人になる。

すばらしいことが起こる。

 

大人は、子どもたちを愛しているはず。

だから、愛し方を、大切にするやり方を、まちがえてはいけない。

大人が子どもたちの夢を否定するのは、

そのほとんどが「よかれ」と思ってです。

だけど、「できないよ、無理だよ」という前に、そこで踏みとどまって

ちょっと考えて言ってほしいのが、

「だったらこうしてみたら?」

自分の考えていることを誰かに否定されるのは

おとなだってつらい。

だから、悪気が無くても、がんばって言わない。

 

もし、何もアドバイスできないようなら、

じゃあ調べてみたら?

あの人に聞いてみたら?

そんな「だったらこうしてみたら?」もあるはず。

 

私たち親は、

子どもたちの幸せな将来を願います。

だからこそ、

好きなこと、知りたいこと、やってみたいこと、がんばりたいこと、

そしてがんばっている姿をちゃんと見て、

応援していくしかないのですね、

不安に思ったり、困ったり、慌てたり、大変でしょうけどね^^!