
大量の、折り紙の「おさいふ」…^^
子どもたちは、ときどき
「延々と何かをし続ける」 ことがあります^^
例えば、
写真のように、折り紙で、同じものを作り続ける。
積み木を果てしなく並べていく。
同じものの絵を、何回も描く。
粘土で同じ形のものをいくつも作る。
くるくると回るおもちゃを、止まっては回し、止まっては回し…。

なぜかそういう姿を見るとき、
それは、すべてが「手」を使う作業です。
顔を見ると真剣で、集中していることが分かります。
邪魔できない雰囲気があります(^_^;)
そしてそれは、
いっときに集中してやるだけでなく、
毎日同じことをするとか、そんなふうに現れたりもします。

そして、
ずーっと同じことを、 やってやってやって…、
そして、あるとき
突然、ぱっ!とやめる。
その顔は、
なぜかとってもすっきりしています。
目なんかも、キラキラしちゃっています。
大満足!達成感! …そんな感じ^^
手を使って頭をフルに使って、
どんなすごい仕事を成し遂げたのでしょう^^
わたしも子どもだったけれど、
そんなすてきな体験を
残念ながら、ぜんぜん覚えていません><!
なんでしょうねえ、
どんなすてきなことが、分かったのでしょう^^♪

子どもを育てていると、
かならず彼らとケンカします。
ケンカというか、怒りをぶつけられます。
それは、こんなとき。
「じぶんでやる!」
「できるもん!」
「〇〇ちゃんがやりたい!」
…って言ってるのに、ママやパパがわかってくれないとき。
まだ小さいからできないでしょ、とはじめから決めつけられたり、
そうじゃないでしょ、こうでしょ、とできないことを知らしめられたり、
危ないよ、だめだよ、と挑戦のチャンスを奪われたりする。
あの激しい怒りは、わがままから来ているのではない、
そう思えるほど、子どもたちは激しく怒り、泣き、抗議する。
子どもたちが求めているのは、どんなことだろう…?
子どもに激しい怒りを向けられるたび、考えずにはいられませんでした。
大人は、彼らより能力があるわけではない。
ただ、先に大きくなって、先にできるようになっただけ。
それなのに、子どもを「自分より劣ったもの、未熟なもの」として扱うことがある。
だから、やろうとしていることに手出ししたり、口出ししたり、禁止したりする。
彼らが望んでいるのは、
「あんた、先にできるようになったんだから、昔は子どもだったんだから、
その時のやりたい気持ちを思い出して、できない悔しさを思い出して、
どんなふうにすればいいのかちゃんとお手伝いしてちょうだいよ!」
ということなのかもしれません。
ただ、「ひとりでできるように、手伝うこと」。
よけいな手出し無用、口出し無用、
必要な先回りの配慮、準備を万端に、
お願いしますよ、おかあさん!って^^
例えば、
自分で顔が洗えるように、洗面台に届くちょうどいい高さの踏み台、
自分で手を伸ばして取ったりかけたりできるタオル掛け、
自分の手にちょうど良い大きさのタオル…。
そんな配慮を、最初から大人がしていてくれたら、
そんな「ひとりでできるように、手伝う」ことをしてくれていたら、
子どもたちはどんなにうれしいでしょう。
そして、
顔をあらうにはどうすればよいかを、
ゆっくり、ていねいにやって見せてくれて、
次に自分がやってみるとき、
ちょっと失敗しても上手になろうとがんばっているのだからと、
ちゃんと見て、待っていてくれたら、
子どもたちはどんなに安心してうれしいでしょう。

他にも、
子どものコップ、歯ブラシ、タオルは、
子どもの手の届くところにいつもある。
着替えのタンスの中は、子どもが出し入れできるように
整理し、ぎゅうぎゅうにしておかない。
着るものはよく伸びて着脱がしやすいもの。
ボタンは大きく、留めやすいもの。
くつは、はき口が大きく開き、足をいれやすいもの。
子どもが使う道具は、子どもの使いやすいサイズで用意する。…
子どもが大人に求めている手伝いとは、
「自分ひとりでできるようになる」ことへの配慮、なのだと思います。
ただただ、「大人らしく」、
深い配慮をもって、その場に控えていること。
必要なことだけを教え、必要なことだけを手伝い、
あとは
「わたしのやろうとする意志と情熱と、できる力を信じてね!」
なんでもやってあげればうれしいんじゃない、
子どもは未熟、として やみくもに禁止したり手出ししないでほしい、
子どもたちの願いは
ぼくが、わたしが、「ひとりでするのを」手伝ってね!
そんなことなのかもしれません^^


1歳半ころ、積み木がすてきな友達に♪
ひとつ積んでは、みてみて^^!
もうひとつ積んでは、みてみてみて^^!!
この、ひとつできるごとに「見て!」とすることが、
子どもたちにとってはとっても大切なこと。
ひとつひとつ、大好きな人と視線を合わせて
「できた^^」うれしい気持ちを伝えたいんです。
このとき、大人はちゃんと視線を合わせて、
うれしい気持ちをしっかり受け止めてほしい。
できてうれしい!という子どもたちの心は、
大好きな人に認めてもらうことによって
ますます大きな喜びになります。
そして、その大きな喜びは、
もっと挑戦しようとする力や、
失敗してもまたがんばれる力になっていきます。
認めてもらうことが、次の力になる。
わたしたち大人と、おんなじ^^
おもちゃを片付けること、お手伝いをすること、
ボタンをはめること、靴を履くこと…、
できることは、どんどん広がっていきます。

子どもたちがずっとずっと大きくなるまで、
「できた^^」「できたね^^」
うれしい気持ちを、しっかり分かちあっていけたらいいな♪
手出しするより、口出しするより、
できることを信じて、待つ。
私たち大人には、そんな試練もあるけれど^^
図書館にて、子ども用の棚から
とっても面白い本を見つけました^^


『 「名作」で鍛える トコトン考える力 』
(宮川俊彦著 毎日新聞社)
「オオカミ少年」「裸の王様」「吾輩は猫である」「走れメロス」…
一度は読んだことのある名作を、
まったく別の角度から「読解」してみよう、
という本です。
著者の宮川さんは、
『読み方に正解はありません。
正解とされているものを「本当にそうなのか」と
立ち止まって考えてみましょう』
としています。
教科書どおり、学校の型どおりの「正解」とは異なる
どんな世界を見せてくれるのでしょう^^
わくわく…
と、ページを繰るやいなや…
最初の名作は、『おにたのぼうし』
気のいい鬼、鬼太は貧しい家の女の子に気付き
こっそりごちそうを運ぶ。
帽子をかぶって現れた鬼太に、
女の子は「豆をまいて鬼を追い払いたい」と言う。
女の子が玄関に出ると帽子と黒豆が置いてあり、鬼太は消えていた。
女の子は「鬼は外」と豆をまいた。
…こんなお話です。
悲しい話、報われない好意、善意…
誰だって、貧しい母子をほっておけない、
鬼太はただやってあげたかった。
「しかし、それでいのかと考えてほしい。」
さあ、宮川さんはトコトン考えますよ^^!
「人は報いや見返りを求めてよいことをするのか?」
「好意は、する方もされる方も慎重でなくてはならないものだ」
「願いは結局本人の努力でしか実現しない。」
…と、滔々と語り…、
『好意でしたことなのに、と思ってはいけない。
「相手の身になる」という言葉は美しく聞こえるけれど、
生半可なものではない。誤解されることだってある。
この話が持つ一種の毒を読みとらないと、つまらない。』
ときた^^!
古代中国の話、『矛盾』では
『「さっきと言ってることがちがうじゃん」と指摘するよね。
しかし、理解する側の責任というものもあるんだ。
「だってそう思ったんだもん」というセリフはよくないのかな。』
と、
強力な盾と矛、それでいいじゃないかと思えないのはなぜか、
世の中のこと全てにつじつまを合わせなくてはいけないのか、
と私たちに問いかける。
『走れメロス』では
ただ見ているだけの観衆に、「太宰の不信感が見えるだろう」
『オオカミ少年』では
「村人に落ち度はないか?」
『泣いた赤鬼』では
「立て札はさ、青鬼くんの恨みだよ。
僕は君とは会えない。そうさせたのは君だと言葉で刺し、
そして去っていく。これを友情とよべるかな?」
なんて言っちゃう^^
一気に世界が開けるというか、目が開くというか、
大人の知の領域を味わうというか…^^
物の考え方、できごとの見方、人の関係の機微、思慮…
こんな「知」に出会ってから、大人になりたかったです^^
15歳ころまでに、読みたかったなあ、この本^^♪
あふれるほどの日本のおもちゃ市場。
発売後すぐに消えていくおもちゃも少なくありません。
そんな市販のおもちゃのなかから優良なおもちゃ選びの指針となるよう、
1985年にグッド・トイ選定活動はスタートしました。
4月8日 日曜日、東京では桜が見ごろでしたね^^
その春ののどかな一日、
東京おもちゃ美術館の一室にて
まさに喧々囂々(けんけんごうごう…こんな字を書くんですね!)
グッドトイ2012の、第2次選考会を行いました♪

グッドトイ2001選定 「ローリングすとん」 (平和工業株式会社)
全国のおもちゃコンサルタントによる冊子投票の結果は、
投票者数268名、投票総数2352票
前回を上回る投票数になりました♪
85点のおもちゃのうち、
いちばん得票数の多かったおもちゃは113票、
もっとも得票数の少なかったおもちゃは1票、
得票数1位のおもちゃから順位を追って眺めてみると、なるほどなあ…
やはり上位には魅力的なおもちゃがいっぱいでした^^
(ここで書けないのが残念><!)

グッドトイ1997選定 「カプラ」 (有限会社アイ・ピー・エス)
今回の2次選考会では、上位30位までのおもちゃをひとまず確定とし、
以下31位から85位のおもちゃのなかから
3次選考会に残すべきおもちゃを議論しました。
その結果、12個のおもちゃが選考され、
最終的には42個のおもちゃを、3次選考会に通すことになりました^^

グッドトイ1994選定「クネクネバーン」 (ドイツ/ニック社)
グッドトイの選考基準として、
『選考委員の 専門性 と 価値観 を重んじ』
という文言があります。
選考委員はおもちゃコンサルタントで構成されていますが、
そのメンバーは
保育士、学童保育関係者、児童館職員、
おもちゃを作る人、おもちゃを売る人、おもちゃドクター、
高齢者福祉の専門家、大学教授など学識経験者、
造形教室主宰者、おもちゃの広場開催者など
幅広い背景を持つ人たちで構成されています。
その彼らの、
おもちゃと遊びに深くかかわる活動をしているからこその慧眼、
知識と経験に裏打ちされた、深い洞察と価値観。
そして
このおもちゃを再考の場に乗せたい、または除きたい…、
良さを推すにしても問題点を指摘するにしても、
その言葉にはおもちゃや子どもたちへの愛情がにじみます。
いろんな立場の人が集い、よりよいおもちゃを選ぼうと
真剣に!楽しく!!議論する第2次選考会、
選考委員の方たちの言葉と想いに、
ほんとうによい気付き、学びをいただきました^^
わたしも1つ、どうしても3次選考会に上げたいおもちゃがありました。
なんとかそれを残すことができ、ほっとしています^^

グッドトイ2000選定「大工さん」 (ドイツ/ベック社)
良いおもちゃを子どもたちに、そして大人の人に。
楽しい遊びと豊かなコミュニケーションを全ての人に^^
さあ、次は、一般のみなさんの投票会ですよ^^!
みんなでよいおもちゃ「グッド・トイ」、選びましょう^^!!
(長くなったので、お知らせは次回します♪)
ままごとは、手を動かして、イメージして遊ぶ、大事なあそび^^

「ままごと」は、
食事や台所仕事を中心とした生活の全てについて
大人のまねをする遊びです。
生活の中で見聞きしたことや経験したことを
再現して楽しみます^^

1歳前の「ちょうだい^^」「はいどうぞ^^」のころから、
ままごと遊びは始まっています。
心の育ちを想うと、
男の子にも、十分にさせてあげたい遊びです^^
「え??女の子だけの遊びじゃないの??」
いえいえ、違います。
だって、
お料理したり、掃除をしたり、赤ちゃんのお世話をしたり、
細やかに手を使います。
そして「ままごと」はイメージを働かせる遊びです。
ママやパパの役割をしたり、
おはじきを「にんじん」に見立てておかずにしたり、
積み木を「アイロン」にして、アイロンがけしたり…。
手を使って、情景や役割を想像してあそぶ「ままごと」
手は「第2の脳」と言われていますよ♪
手を使って、イメージして遊ぶことは、
「脳を活発に元気に働かせる」ということでもあります^^
(それも、楽しく^^)

また、
日常をなぞる「ままごと」は、子どもの心を穏やかに安定させてくれます。
日常だからこそ、子どもたちに落ちつきと、穏やかな心をもたらします。
それに、
「ままごと」は、遊びを通じて人とのコミュニケーションを教えてくれます。
ままごと遊びを通じて友達と関わるなかで、
楽しさを共有したり、想いを分かち合ったり、ケンカしたり…
豊かなコミュニケーションを体と心で学びながら、
子どもたちは人とふれあうことの喜びを知っていきます^^

人と関わる力は、生涯の大事な宝です♪
男の子も、女の子も、おんなじ^^