サンタさんへの手紙^^

子どもとゆく , 0 Comments

もうすぐクリスマスですね^^

サンタさんが来てくれる日を、心待ちにして過ごす12月。

家の子どもたちも、サンタさんへの手紙を書きました。

 

サンタさんに手紙、なんて書こうかな^^

折り紙でサンタさんを折り、顔を描いて、絵を描いて、

少しずつ書けるようになってきた覚えたての字で

ゆっくりお手紙をつづります^^

 

サンタさんの手紙、できたあ^^!

できた^^!

自分の名前と、サンタさんに伝えたいことを

自分でがんばって書きました。

「さんたさんだいすき」

 

まんなかの長い手紙は、お母さんに書いてもらいました^^

「きをつけてね となかいがんばってね」

というところが、母は好きです^^

 

 

サンタさんへの手紙。心のなかに、できるだけ長くサンタさんを住まわせてほしいな^^

こちらは兄ちゃんの手紙。

3年生です^^

丁寧に書いています。

 

「子どもたちが書いた手紙を

クリスマスツリーに挿しておくと、

サンタさんのお手伝いをしている小人が

サンタさんのところに届けてくれるのです…。」

そんな絵本を読んでから、

サンタさんへの手紙が毎年の習わしになりました。

 

心のなかにサンタさんを住まわせることができるって、

とっても幸せなことだと思います。

サンタさんが来てくれる、と信じることは、

幸せな期待を持って、何かを信じること。

そしてその幸せな期待は、ほとんど必ずかなえられます。

 

そういう経験を小さいころに何度もできることは、

不確実な「何か(誰か)を信じる」ことができる幸せや、

不確実な「何か(誰か)を信じる」、心の強さに

通じるのかもしれないな、なんて思ったりします。

 

今日あたり、

手紙がツリーからなくなっているかもね^^!

そしたら、

「手紙が無くなった!」

「小人さんがもってった!」って、

とってもいい顔で、教えに来てくれるでしょう^^

ものを贈る、贈られるということ

子どもとゆく , 8 Comments

わたしと同じおもちゃコンサルタントで、

わたしと同じ「グッドトイ選考運営委員」、

だけどわたしと違って、わたしの憧れる(=できない)

手仕事のお仕事をされている、

フェルトのおもちゃ作家、ちあんじゅ。さんが、

「かばんねこのかばん」をプレゼントしてくれました^^

 

かばんねこのかばん

 

ちあんじゅ。さんは、

子どもたちが遊びながらボタンをはめる練習ができたり、

あそびを通じて数字や文字に触れることができたり、

ひも通しの要領で、ママのお裁縫のまねごと(ままごと)ができたり…

子どもの育ちを手作りおもちゃでお手伝いすることで、

ママたちのお手伝いをしたいという願いをもって

毎日チクチクとお仕事をされています。

 

クラフトフェアに行ったときに、

「あ、ちあんじゅさんボタン好きかな~^^」

「ボタン穴がずれてたりする、こんな手作りのボタンも好きかも知れないな~^^」

と、木工作家さんの作ったボタンをいくつかおみやげにしたのを

こんなすてきなかばんにして、お返ししてくれたのです^^

 

かばんねこのかばん(裏側)

こちらが裏側。

「かばんねこ」らしく、魚がワンポイントになっています^^

 

なにかのお礼を、と考えたときに、

または、なにかプレゼントを、と思ったときに、

手作りのものを考えられる、そしてできる、というのは、

ほんとうにすばらしいことだと思います。

 

相手への感謝を伝えるために、

または相手への想いを伝えるために、

その人のために何がいいかを考えて、

その人のためににアイディアを練り、

その人のために材料をそろえ、

その人のために時間をかけて仕上げる。

その手間のかかる過程そのものが、とてもありがたく、

尊いことだなあと思うのです^^

 

手書きのはがきがうれしかったり、

手作りのケーキや手編みのマフラーが喜ばれるのは、

相手が自分のためにかけてくれた

時間と手間を、ちゃんと感じられるからです。

 

かばんねこのかばん(中が見えるようにサンタさんのつっかい棒)

ちあんじゅさんも、

かばんを持つところに、手間をかけて茶色の持ち手をつけてくれています。

かばんの裏地も、縫い目が見えないように、きちんと処理してくれています。

さすが作家さん!と思うけれど、それだけじゃないんだなあと思います。

慣れていたって、それだけ時間がかかるし、手間もかかる。

 

贈られるひとが、どうしたらうれしいかとか、

こんなふうに作ったらうれしいだろうなとか、

こんな工夫をしたら使うときに便利だろうなとか、

相手に想いを馳せて、いろんなことを考えられるかどうかなのでしょう。

 

わたしが返礼としてできる手仕事は、

手書きのはがきやカードくらいしかないのですが、

子どもたちがだれかに贈り物を考えるときは、

できるだけ手作りのものを一緒に考えるようにしています。

赤ちゃんにはペットボトルを使ったガラガラだったり、

小さい子には木片とねじを使ったバードコールだったり、

祖父母だったら絵を描いたり、

へたくそな刺繍のハンカチだったり…

 

ものを贈る、贈られる、ということの意味を、

そして、相手にきちんと想いを馳せるということを、

体と心で、ちゃんと感じてほしいなと思っています。

 

ちあんじゅさんからいただいた「かばんねこ」のかばん、

ほんとうにうれしいです。

誰かに想ってもらえることのありがたさ、

誰かを想うことの大切さ、

あらためて、心から感じる機会をいただきました。

 

ありがとうございます^^

子どもたちに夢を抱かせないのはだれ?

おおきくなる子ども 10 Comments

植松電機さんとロケット

北海道・赤平の小さな町工場、植松電機の、

植松社長のお話を聞きました。

社員のみんなで

リサイクル用パワーショベルにつけるマグネットを開発・販売し、

「趣味」で誰もが「どうせ無理」と考える

ロケットの実用化にチャレンジしつづけている会社です。

 

誰 も があきらめるような夢を

小さな会社でもできることを示せば、

世の中から「どうせ無理」という

「人の可能性」をつぶす言葉をなくせる、と語る植松さん。

 

飛行機やロケット、

好きなことをがんばって

「どうせ無理」と言われ続けたことを

実現し続けている植松社長です。

 

だからでしょうか

「可能性に満ちあふれる」子どもたちへの想いも

何度も語られ、子どもたちの夢を守りたい、

応援したい、という強い心を感じました。

とても心強く、幸せな想いで聞きました。

 

彼は、この世から

「どうせ無理」という言葉をなくしたいと言います。

 

どこに行っても、「どうせ自分にはできない」

「無理だ」、そんな言葉が聞こえてくる。

大人も、若い人たちも、子どもたちまでも。

 

好きなことがあっても、

やってみたいことがあっても、

自分の可能性を最初からあきらめ、

努力しようとしない。

 

どうせ無理、と言ってしまったら、

それは「なにもしなくてもいい」、ということと同じです。

「どうせ無理」は、

努力をあきらめ、楽をするための言葉です。

 

楽をすると、無能になります。

無能になると、自信が持てなくなります。

それでも自信を持つためにはどうすればいいか?

それは、他者を批評すること、荒探しすること、それしかない。

「なにあんなこと言って」「バカなことしてる」「できるわけない」…

そして、他者から心を奪う。

そして心を奪われたその人は、自信を保つために、

そのまた他者を批評し、荒探しして、心を奪う。

言葉で、人の心を殺し合うのです。

 

殺人がいけないのは、

「一人の人間の可能性を殺すことだから」です。

その人が為すはずだったこと、

その人が他者に与えられたこと、

生きていくことで手にするはずだった可能性を、

無にしてしまうからです。

 

言葉で人の心を殺すこと、

「どうせ無理」という言葉で人の可能性を奪うことは、

殺人と同じです。

 

人は、

「やったことがないこと」「知らないこと」としか、出会わないのです。

赤ちゃんは、立とうとする、歩こうとする、お話しようとする。

「自分にはできない」なんて、考えてない。

 

赤ちゃんが頑張って立とうとするのは、

さっそうと歩き、楽しくおしゃべりする、

自分より大きい人たちに憧れているから。

自分もやってみたいから。

 

保育園の子が、「やったことがないからできない」と言いますか?

いえ、言いません。

彼らに何かを「やってみたい人!」と聞くと、みんなが手を挙げる。

知りたがり屋の、やりたがり屋です。

 

それがどうして

大きくなるにつれて

「どうせ無理」「自分なんて…」「できるわけないじゃん」

キラキラした顔をなくしてしまうのか。

知りたい!やってみたい!と思う前に、そんな気持ちを持つようになってしまうのか。

 

それは、

大人が何度も何度も教えるから、です。

「どうせまだできないんだからやめなさい」

「やったことないんだからできないわよ」

「そんなことできるわけないでしょ」

「バカ言うんじゃない」

「そんなことをしている暇があったら勉強しなさい」

 

好きなことなら、努力できる。

夢につながる。

だけど、小学校、中学校、高校と進むほど、

「夢みたいなこと言ってないで」

「よけいなことばかりしてないで勉強しなさい」

「あんたの成績じゃ無理よ」

「できるわけないでしょう」

大人が、子どもたちにあきらめることを教えている。

 

子どもたちが為される進路相談は、

「君の入れる高校・大学はこことここ」「そこは無理」

成績による憶測で評価し、振り分けるだけの場になっている。

子どもたちの好きなこと、やりたいこと、夢なんて、考えてない。

 

夢を実現させるために、その子がどうやって進んでいくべきか

その道を探す「進路相談」の場ではなくなっているのです。

「成績をもとにした他者の憶測による評価」

それに子どもたちだけでなく、親も振り回されている。

 

わが子の価値を、他人に評価させるから変になるのです。

自分でちゃんと見て、評価しよう。

わが子の将来への進路選択を他人に委ねるから、おかしくなるのです。

わが子の未来は、自分が支えよう。

 

大人は、自分にとって「都合のいい」子を求めてはいけない。

大人は、信じるに値する未来を、

全力で支え、応援しなくてはいけません。

子どもたちの心を支えてやらなければなりません。

キラキラの顔を、そのままに育てたい。

 

「学力」とは、「学ぶ力」

どうせ無理、と

やらない言い訳をする人は、成長する可能性は、ありません。

だけど、子どもたちは最初から

好きなこと、やりたいことをがんばる力を持っている。

 

Dream can do,

Reality can do.

思えば、招く。

 

子どもたちの大好きなことを奪わなければ、

夢を奪わなければ、

すばらしい人になる。

すばらしいことが起こる。

 

大人は、子どもたちを愛しているはず。

だから、愛し方を、大切にするやり方を、まちがえてはいけない。

大人が子どもたちの夢を否定するのは、

そのほとんどが「よかれ」と思ってです。

だけど、「できないよ、無理だよ」という前に、そこで踏みとどまって

ちょっと考えて言ってほしいのが、

「だったらこうしてみたら?」

自分の考えていることを誰かに否定されるのは

おとなだってつらい。

だから、悪気が無くても、がんばって言わない。

 

もし、何もアドバイスできないようなら、

じゃあ調べてみたら?

あの人に聞いてみたら?

そんな「だったらこうしてみたら?」もあるはず。

 

私たち親は、

子どもたちの幸せな将来を願います。

だからこそ、

好きなこと、知りたいこと、やってみたいこと、がんばりたいこと、

そしてがんばっている姿をちゃんと見て、

応援していくしかないのですね、

不安に思ったり、困ったり、慌てたり、大変でしょうけどね^^!