子どもが、すっごい怒ります。
それは、こんなとき。
「じぶんでやる!」
「できるもん!」
「やりたい!」
…って言ってるのに、大人が分かってくれないとき。
まだ小さいからできないでしょ、とはじめから決めつけられたり、
そうじゃないでしょ、こうでしょ、と「できない」ことをわざわざ知らしめられたり、
危ないよ、だめだよ、と挑戦のチャンスを奪われたりする。
これはわがままから来ているのではない。
そう感じるほどに、子どもたちは激しく怒り、泣いて、抗議します。
大人は、子どもたちよりも能力があるわけではありません。
ただ、「先に大きくなって」「先にできるようになった」それだけ。
それなのに、子どもを「自分より劣ったもの、未熟なもの」として扱うことがある。
そして、子どもがやろうとしていることに手出ししたり、口出ししたり、禁止したりする。
でも、
ほんとうに子どもたちが望んで大人に言いたいことは、きっとこういうこと。
「お母さん!お父さん!
あなたは今はもうできるようになったかもしれないけど、
昔はあなたも子どもだったんだから、できなかったんだから、
その時のやりたい気持ちを思い出して、できない悔しさを思い出して、
私がどんなふうにすればいいのか、ちゃんと分かるように、お手伝いしてちょうだい!」
子どもは「できる」「やりたい」「じぶんで」くらいしか語彙がないから、うまく伝えられないだけ。
だから分かってほしくて、大騒ぎして、泣くのです。
おとなはただ、「子どもがひとりでできるように、手伝うこと」。
それだけでいいのです。
例えば、
自分で顔が洗えるように、洗面台に届くちょうどいい高さの踏み台とか、
自分で手を伸ばして取ったり掛けたりできるタオル掛け、
自分の手で扱うのに、ちょうど良い大きさのタオル。
そんな配慮を、子どものために最初から大人がしていてくれたら、
そんな「ひとりでできるように、場を整える」ことをしてくれていたら、
子どもたちはどんなにうれしいでしょう。
そして、
顔を洗うにはどうすればよいかを、
大人がゆっくり、ていねいにやって見せてくれる。
そうして実際に子どもがやってみるときには、
失敗しても上手になろうとがんばっているのだからと、
がんばる姿をちゃんと見て、子どもが自分で終わりにするまで待っていてくれたら、
子どもたちはどんなに安心で、うれしいでしょう。
信じて待っていてもらえることが、どんなに自信になるでしょう。
例えばほかにも、
子ども専用の道具(コップ、歯ブラシ、クレヨン、ハサミなど)は、子どもの手の届くところにいつもある。
着替えのタンスの中は、子どもが出し入れできるように整理して、ぎゅうぎゅうにしておかない。
子どもが使う道具は、子どもの使いやすいサイズで用意する。
遊びやすく、元にも戻しやすいように、おもちゃの大きさや量や、入れ物を考える…。
そんなふうに、
手出し口出しをする前に、
ただ先にできるようになっただけの、ぜんぜん偉くない大人の私たちは、
「まだできないだけ」の子どもという人のために、
想像して、先回りして、「場を整える」というお手伝いが、できるのです。
子どもが大人に求めている「お手伝い」とは、
「自分ひとりでできるようになる」ことへの配慮、です。
ただただ、「大人らしく」、
深い配慮をもって、その場に控えていること。
必要なことだけを教え、
必要なことだけを手伝い、
あとは
子どものやろうとする意志と情熱と、できる力を信じること。
なんでもやってあげれば子どもはうれしいんじゃない。
子どもが「ひとりでするのを」手伝えるように、その姿をよく見て控えている。
それだけで、いいのです。
そうやって、子どもたちがずっとずっと大きくなるまで、
自立に向かっていっしょに、
「できた^^」「できたね^^」
うれしい気持ちを、しっかり分かちあっていけたらいいな。
手出しするより、口出しするより、
できることを信じて、待つ。
とっても大事。
でもそれはじつは、
私たち大人には、すっごく難しいことなのだけど^^
でもね、大人のその努力は、
びっくりするぐらいの喜びになって、ちゃんと、かえってくるよ。
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