ひとつのことに、なかなか集中してとりくめない。
そんな子どもの姿に悩んでしまったりします。
ひとつのおもちゃに触って、ちょっちょっと触ってみて、別のおもちゃへ。
次のおもちゃも、なんとなく遊ぶようなそぶりが見られるけれど、遊びこむまではいかないかな、そしてまた別のおもちゃへ。
うちの子は集中できないから。あきっぽいから。
そんなふうにおっしゃるかたも。
でも、その子がまだ赤ちゃんと呼ばれるような頃なら、心配はいりません。
ちびさんが自分の手や体でできることはまだまだ少なく、集中する時間も10秒とか、短い。
いろんなものを触って、試してみて、また別のを触って試して、また別の、また別の、そして最初のに戻って…というあそびかたで、いいのです。
ひとつのものに取り組む時間はたしかに少ないけれど、ひとつのおもちゃで遊ぶ、一日のトータルの時間を考えたら…どう?けっこう遊んでないかな^^
3歳さんくらいからは、そうですね。心配になっちゃう気持ちがとてもわかります。
でもうちの子は「飽きっぽい」「集中できない」と思いこんでしまうのは、とてももったいないです。
もしかしたら、そのおもちゃへの関わり方が、わからないのかもしれない。
どんなふうにできるのか、わからなくて不安なのかもしれない。
そのおもちゃでやってみたいことが、浮かばないのかもしれない。
「わからない」「できない」そんな言葉を繰り返したりする姿にも、そんな子どもの不安がかくれているように思います。
ぜひぜひ、おとなのかたが、根気強く「して見せて」あげてください^^
子どもの前で、できるだけわかりやすく、ゆっくり、はっきり、「してみせる」。
大人が、おもちゃで遊んでみせるのです。
「こうしてみようかな」「あっ、はいったよ」「ここにおんなじ色がある。並べてみよう」「こんなに積めたよ」
そんなふうに、大人が自分のやっていることを実況中継しながら、自分で楽しむ。
そこで興味をもってくれたら、しめたもの!
あそびの見本があって、それを見たり真似てみることは、子どもにとってとても大事な体験です。
見て、まねて、実際にやってみるうちに、「こうしてみよう」「こんなふうにしたら、どうなるかな」…そんな、自分の「オリジナル」の遊びが、生まれてくるからです。
もちろんすぐには、真似っこしたりしない子もいます。でも、見ている様子があるなら、心配いりませんよ。やらなくても、見ています。あそびの芽はちゃーんとあとで、現れてきます^^
子どものなかには、なかなか大人がやってみせることを見ていられない子もいます。
他のものに気を取られたり、どこかに行ってしまったり。
でも、1日に2分でも3分でも、大人が根気強く、まいにち繰り返しているうちに、少しずつ、見ていられるようになります。見られるようになれば、あそびは変わります。
生活の場面でも、おんなじです。
手の洗い方、ボタンのかけかた、ハンカチのたたみかた、くつの履きかた。ゆっくり、はっきり、「して見せる」。おとなが意識するだけで、ずいぶん違いますよ。
遊びでも生活のなかでも、どの場合も「やってごらん」「こうするんだよ」なんて、いわなくていいです。
自分のやりたい気持ちがむくむくとなってくれば自然に、こどもは意欲的にやりはじめるのですから。
自分の手と体を使ってあそぶなかで、こどもは自分のできることを知り、やってみて、それを繰り返すうちに、あたらしいことがぽっとできる。
その喜びが新しい意欲になって、さらに遊び込むことで、子どもはいろんなことに気づき、わかり、あそびは育ちの糧となっていきます。
子どもの育ちのために、手をかける。こんなやりかたもあるのです^^
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