かばんねこ、
今日と日曜日と、あと2日です。
今日はさむーいですが、よければおいでくださいね!
写真は張り子のこいのぼり。
いちばん大きい子のおくちにぽこぽこ入っていったら、
ふたをポンと閉めちゃおう。
マトリョーシカみたいになるから
名前は「はりこーシカ」^^
で
さてさて、決めること。
下の子が高校に入ることに改めてびっくりしたり
おもちゃというモノを介すことになんだかきゅうくつさを感じてきたり
あれ?と感じる機会がちょこちょこあって
それで
かばんねこの好きと得意とイヤとキライと
今をじーー-----と見つめてみて
店をおしまいにすることにしたのですが、
じぶんのその時その時の感情をしっかり感じて、
「よさそう」とか「これがふつう」とかじゃなく
「これがいい」「こうしたい」に従ってみたり
「大人なんだから」とか「お母さんのくせに」とか
「ほかの人はこうしているのに」とか「私だけ勝手にしたらいけない」とか
そういう「あるべき」から気を付けて逃れてみたり
「これはダメ」「これならOK」「こうしたほうがいい」みたいな
自分や他者をジャッジしようとする頭の声を聞かないでみたり
そんなふうに
かばんねこ自身だけを見て決めたおかげかなと思いますが
たいへんに、気持ちよく楽しく、楽に、
思ったよりもさっぱりきっぱり、
おしまいを決められたなあと振り返っています。
これがあなた、
「今までのお客様が…」
「いろんな施設に縁をいただいたのに…」
「夫や家族になんて言おう…」
「そんなに長くやってないのにやめたら…」
「せっかく作った場所なのに…」
とか、
他人から「言われそうなこと」とか「思われそうなこと」とか
「こうしたほうがいいんじゃ」とか「めいわくがかかる」とか
「かもしれない」ことを判断材料にしたら
思い切るなんでぜったいできなくて、もうたいへんですよ。
自分以外の声を聞いて自分の大事な選択をするのは
すっごく楽だけど、
多かれ少なかれ、自分をごまかしながら生きることになる。
ただ「自分で決める」という責任から逃れられるから、他者を介在させて自分を楽にしているだけ。
(「こう言われたから」って、言えるしね)
それに、
かばんねこがおもちゃ屋を続けなくても
「にわしどり」さんが手をあげてくれたように
「今!」好きで得意でやりたい人が、それをやればいいだけです。
(かばんねこがかばんねこを始めたのが「今、やりたい!」だったみたいにね)
以前はかばんねこも
まわりから聞こえてくる「かもしれない」声を気にしすぎて
悩むことが多かったなあとおもいます。
おばちゃんになる過程で
きっといろいろ図太くなったのでしょう^^
新しい春、
みなさんもいろんな「決める」があるでしょうね。
ぜひぜひ、
子どものためでない、親でもパートナーのためでもない、
自分のための、よい選択ができますように!
コメントを残す