かばんねこ店主ブログ
コドモト

かばんねこの新しい妄想

かばんねこでの写真を見返していていると、
ああ楽しいな!
きっと遊んだ子も楽しかったろうな、
よかったな^^
…というのがけっこうあります。


「あそぶ」って、すごくいい。
何より楽しいし、わくわくするし、しあわせな気持ちになる。
けど、
「遊ぶ」は
小さい子どもだけのものじゃないはずなのに
大きくなると
とたんに疎遠な感じになるのは何だろう?


大きい子だって、大人だって、
「遊んで」ほしい。


「遊ぶ」は
なんの意味もなくて
「ただやりたいから」
「すきだから」
「楽しいから」
やること。


自分が好きなことして、
自分が楽しいことして、
満足するまでそれに時間を使って、
うんとしあわせな気持ちになってほしい。


そうやって遊んで
自分を楽しませて
日常のなかで幸せを感じることがとても大事で、
みんなそのために生きてる。


そのはずなのに、
特にものすごい「できない理由」があるわけじゃないのに
「だって歳だし」とか
「べつにやらなくても大丈夫だから」とか
「お金かかるし」とか
「子ども小さいから」とか
「時間ないし」とか
大人になるほど
よくわからない理由で、やりたいことを「しない」。

そして
何か「もうすぐ〇〇があるから」とか理由をつけないと
ただの「やりたい」だけじゃ
行動できなくなる。


そんなふうにしてると
子どもの「単なる」「あそび」にまで
「意味」をつけようとしちゃって

「遊んでばかりいないで」とか
「そんなの小さい子がやることでしょ」とか言ってみたり
おもちゃを選ぶときでも
「知育のおもちゃがいい」とか
「おもちゃはちょっと頭使うやつにしよう」とか
子どもが楽しく取り組んでるおもちゃじゃなくて
大人が「遊んでほしい」ものや「役に立つ」ものを選んじゃったりする。


だから
やる「意味」とかじゃなくて
やること自体が「楽しくて幸せ」なことを
「ただやりたいからやる」を
まずは大人自身が、ちゃんと自分にやらせてあげてよ!


自分が自分に許してないことを、
子どもや家族や他人にも許さないのは
なんか自然にやっちゃいがちだけど
あとあと、自分もつらくなるよ。


ということで
まとまらないけれども

大人も
「あそんでくらす」
ということを、
かばんねこの今後のテーマにしたいなと思ったのでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です