かばんねこ店主ブログ
コドモト

お母さんだけども

割れるんだよ!HABAたまご

5個のクッキーとかは
「子ども2子ども2わたし1」

ひとつだけもらったイチゴとかは
「食べていいよ」

子ども優先
あたりまえにしていたけど、
「わたしも食べたいなあ、わたしも好きなんだけどなあ」
という時もありました。

けどもそれは、
「わたしがそうしたい♡」よりも
「大人だし」とか
「そうするべき」とかいうのが
自分の気持ちよりも優先されるときがあったなあと思い出します。

でも、それ、なんのためにしていたのかなーと
今思うのです。
ぜったいに、子どものためじゃない。

子どもにそうしてあげたくてやってるときは、
自分がうれしいし、楽しいし、満たされています。
だけど、
そうしなきゃと思ってやってるときは、もやもやしている。

「お母さんもそれ好き!はんぶんこしよう?」
って、言えばよかったのに。

けどそういう
お母さんなんだから子どもを最優先にしなきゃダメ、みたいなの
良く考えたら、それ、誰が決めたの?

そうです、わたしです。

はた迷惑ですよね、
子どもは望んでいないかもしれないのに
なんか勝手に自分から犠牲っぽいことをして、勝手に悲しがってる。

そしてそれはたぶん、子どもにも向かっていたのかもと思うのです。
「わたしが我慢してやってあげたんだから」
「あなたのためにやってるのに」
意識していないし言葉にもしないけど、無意識の態度のようなもので。

そして同時に、
わたしのそういう意識は
「あなたも年上になったら、大人になったら、そうしなさいよ」
という呪いになってるのかもと思いました。

わたしは
「あなたの気持ちを我慢してだれかを満たしなさい」
なんて、子どもにも、もちろん誰にでも言いたくない。

けど、わたしがやってたら、
すぐそばにいる「お母さん」がやってたら、
それは子どもやだんなさんへの、無言のメッセージになるかもだよなあ。

ということで、
わたしはわたしの気持ちを、ちゃんと大事にすることにしました。

「お母さんだからこうあるべき」
じゃなくて
「わたしはそうしたい!」
に従うし、
それを子どもに伝える時は、
「わたしはあなたがいちごがすきだからあげたいなーと思うんだけど、どう?」
にしようと思います。

もうね、
大学生と中3なんですけどね。

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