教える?待つ?

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棒刺しのような知育っぽいおもちゃになると、とたんに子どもにいろいろ教えたくなっちゃうのは、もったいないな。

「赤だけあつめてみよう」
「おんなじ色で並べてごらん」
「ほら、1,2,3…ってわかるよ…」
そんなふうに。

 

子どもは、言われるとおりやってみるでしょう。
大好きな大人が、そう言うから。
そして、できれば、ほめられる。
うれしいです。
でもできなければ?
勝手にがっかりされることがある。
「まだできないか」なんて大人はさらっと言っちゃうけど…、

やっぱり子どもにとっては、りふじんだー!!!

 

だって、
たとえば、おもちゃの太鼓を叩いてるとき。
どのかたもうれしそうに、ニコニコと見つめます。
その子がやりたいように、やらせてくれます。
バチがうまく持てなくても、太鼓にうまく当たらなくても、あんまり気にしないです。
「そのうち上手に持てるようになるよね」って、自然に今の姿や、楽しんでいる喜びを受け入れている。

 

どんなおもちゃでも、そして暮らしのどんなときでも、
子どもをそんなふうに受け入れてほしいです。

「それが楽しいんだね、よかったな」
「今はそれがやりたいんだね、へえー」
「そんなふうにするんだ、おもしろいな」

さっきのペグ刺しの例だと、
子ども本人はペグを刺す感触が楽しくて、「今は」それだけがしたかったのかもしれない。
だから、色や刺す場所なんか関係なく、刺すことだけに夢中になっていたのかもしれない。
なのに、ああしろこうしろと横からわあわあと言われて、おまけに言ったとおりにしないからって「まだできないか!」なんて勝手なこと言われちゃあ、困っちゃうな。

 

子どもは、遊びながら育ちます。
興味のあることを、自分の手を動かしてやってみるうちに、なにかに気づく。
あっ、こうしたら面白いかも!にわくわくして、やってみる。
あれ、ここがこうなってる、じゃあこうしてみたらどうなるかな?をやってみる。

それが、もしかしたら、大人がやってほしい
「色分け」
「順番」
「数」
「規則性のある理知的なこと」
そんなことかもしれないですよ。
そして実際に、自分で気づいて分かってやりとげたことは、すごく満たされるし、自信になるし、じぶんの体験の知になる。

 

今、子どもが何を楽しんでいるのか、見てみましょう。
そしてその遊びが発展しそうな何かに気づいたら、ちょっとお手伝いしたり、箱などのちょうどいい道具を用意したりする。
それが、大人ができることです。

もうすでにいろんな経験をしてきて、いろんなことができて、いろんなことができる大人だからこそ、そんな予測やお手伝いができるんです。

教えて、やらせて、分からせることではなくて、
自分でやって、自分で気づき、自分でわかった!ってうれしくなるように…。
大人だからこそ、配慮できるのです。

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