先日の「大人が片づけてね」のあと、考えてみました。
相手が「子ども」だと思うと、指示とか命令とかになりやすいですね。
「もう帰るよー」
「お昼ご飯食べに行こう」
「あと10分ね」
とか。
けっこう勝手に決めちゃう。
子どもの気持ちはスルーされることが多いかも。
なので、
子ども時代にそれを大変不満に思っていた旧子ども代表としては、もちっと対等な感じを希望します。
子どもは「思うとおりにできるひと」じゃなくて
「連れのひと」だと思ってやってほしい。
一緒に買い物に行った友人に言うみたいに。
「ごめんもうちょっと見たいから待っててくれる?」
みたいな感じで、
「お片づけしたいから待っててくれる?」
とか。
それに親である大人は誰も、子どもへの願いを持っています。
いい子に育ってほしい。
社会に喜んで迎えられる子になってほしい。
それなら、
自分がいい見本になって「あってほしい姿」を見せるしかありません。
(だから「おとなが片付けて」と書きました)
そしてぜひ、
うまれの早い遅いはあっても、保護し守り育てている対象であっても、
子どもも自分の意思がある対等な「ひと」と思って話すこと。
子どもは、
いつでもお世話してあげなきゃいけないひと
指示したり教えたりしてやらなきゃできないひと
言ってもわからないひと
言ってもきかないひと
ではありません。
社会で「みんなと生きていく」のに必要な配慮やマナーを「まだたくさん知らないだけ」のひとです。
だから、身近なおとなが伝えるのです。
「ここはみんなの場所だから、お片づけして帰ろう」
「これはかばんねこさんの大事なおもちゃだから、やさしく触ろう」
「ほかの子も遊びたいから、もとに戻しておこう」
子どもは、
よい人間でありたいと願っています。
だから身近な大人の言うことを信じて聞くし、
間違いないと思ってまねる。
ちなみに
一度言っただけで行動が変わることはほとんどないかも。
納得しなければききたくないのは大人もおなじ。
そして欲求を我慢したり感情をコントロールするのを、かれらはまさに「練習中」のひとなのです。
だから、あってほしい姿を大人が見せるのだし、何度も伝えるのです。
子どもは、よい人間でありたいと願っています。
そう感じませんか。
大人は彼らの期待に応えて、よい手本になりましょう。
親になるって、たいへんですねー!
コメントを残す